銀座とともに歩んできたサッポログループ
銀座に誕生したサッポログループ
明治20年、サッポロビール(株)の前身である日本麦酒醸造会社は、現在の銀座二丁目で設立されました。
明治23年頃、本社事務所は麦酒醸造所を建設した目黒市三田村に移転しましたが、日本麦酒(株)と社名が変わった後、札幌麦酒(株) 、大阪麦酒(株)と3社合同で大日本麦酒(株)を設立したことをきっかけに、明治40年、現在のビヤホールライオン銀座七丁目店の位置に竹川町事務所を開設し、再び銀座に戻ってきました。
時を経て、サッポロビール(株)と社名を改め、昭和53年には現在の「ストラータ銀座」の場所(銀座七丁目)に本社新社屋を建設、その後本社は恵比寿に移り、現在に至ります。なお、「ストラータ銀座」はホテルやレストランが入る商業施設として平成18年に開業しました。
銀座で育まれたビヤホール文化
日本初のビヤホール誕生
日本麦酒会社は明治32年8月4日、現在の銀座八丁目に「恵比壽ビヤホール」を開業しました。「料理を出さず、ビールだけ」という全く新しい業態で、『ビヤホール』という造語で表現され、日本初のビヤホールとなりました。
煉瓦造りの建物の2階を間借りして開店したにも関わらず、当時としては極めてモダンで豪華な造りをした店舗だったこともあり非常に繁盛し、遠方から馬車でやってくる人もいたそうです。
現在、開業日である8月4日は「ビヤホールの日」として日本記念日協会に認定され、現在のサッポロライオンでは創業祭の日として毎年盛り上がりを見せています。
現存する日本最古のビヤホール
大正7年、大日本麦酒(株)の竹川町事務所跡には、「銀座ビヤホール」を開業します。その後、昭和9年に同場所に竣工した大日本麦酒(株)の本社新社屋ビル1階で、現在のビヤホールライオン銀座七丁目店は営業を始めました。
八十余年後の今日も、1階のビヤホールは創建当時の姿のまま営業しており、現存する日本最古のビヤホールとして多くのお客様に愛され続けています。
銀座のど真ん中に誕生したビヤホール
明治44年8月10日、銀座四丁目の角に築地精養軒(上野精養軒の前身)が経営する「カフェー・ライオン」が誕生しました。
ダイニングルームの他に、バーや宴会場も備えた本格的なレストランとして、多くの文化人にも愛され、その人気は隆盛を極めました。
大日本麦酒(株)がこの店の経営を始めたのは、昭和6年からです。店名を「ライオンヱビスビヤホール」に変え、ビヤホールとして生まれ変わりました。昭和20年代には通称・愛称であった「銀座ライオン」を正式な店名とし、その後現在にいたるまで、サッポロライオンのコアブランド名として親しまれています。
銀座のランドマーク
銀座のど真ん中にあった四丁目交差点の「銀座ライオン」は、昭和43年、建替えにより一旦閉店しますが、
昭和45年6月20日同場所に“サッポロ銀座ビル”が竣工し、「銀座ライオン」は地下で営業を再開しました。
そして平成28年9月24日、“サッポロ銀座ビル”は、 “GINZA PLACE(銀座プレイス)”として生まれ変わり、「発信と交流の拠点」としてこれからの銀座の街づくりに貢献する拠点を目指します。