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common ginza
3F[イベントスペース]
屋外テラスのある開放的な空間で、新しいライフスタイルや価値観、情報の発信を行います。
PRイベントやポップアップショップ、ワークショップやアートギャラリーなど様々な使い方がいただけるイベントスペースとしてご活用いただけます。
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    • 「ギンザ ライフスタイリスト」丸山さん

      「ギンザ ライフスタイリスト」丸山さん

    • ファシリテーターのMEGUMIさん、天野さん

      ファシリテーターのMEGUMIさん、天野さん

    MEGUMIさん・天野譲滋さんと多彩なゲストスピーカー「ギンザ ライフスタイリスト」によるトークショー

    5/24 (木)銀座茶話会開催
    「銀座茶話会」は、タレント・女優のMEGUMIさんとデザインビジネスプロデューサーの天野譲滋さんが、ファシリテーターとして毎回多彩なゲストスピーカーを「ギンザ ライフスタイリスト」としてお招きし、ゲストのライフスタイルや銀座にまつわるトークの中から、自分のライフスタイルに少しプラスできそうなヒントを持ち帰っていただくトークショーです。

     記念すべき第一回に出演される丸山敬太さんは、幅広い分野で活 躍される日本を代表するファッションデザイナーのお一人です。自身のブランドをはじめ、洋服に限らず、様々なジャンルとのコラボレーションも積極的に手がけています。当日は、MEGUMI さん、天野譲滋さんとともにご自身のライフスタイルや、銀座の街とのかかわりについて語り合います。
    • 左:山井さん 右:国見さん

      左:山井さん 右:国見さん

    2017年9月20日(水)開催
    「人生に、野遊びを。」の抄録です。

    スノーピークの「好きなことをやって、社会のためになる経営」(後編)
    GINZA PLACEの「common ginza」を舞台に、さまざまなジャンルのつくる人たちを招いて「トークイベント+α」を発信していく「パノラマトーク」。第7回は『人生に、野遊びを。』というテーマで、オートキャンプのパイオニアである株式会社スノーピーク代表取締役社長の山井太氏と株式会社電通ビジネスデザインスクエア未来創造室 室長の国見昭仁氏さんによるトークが行われました。

    日時:2017年9月20日(水)19時〜
    場所:GINZA PLACE内「common ginza」

    山井太(株式会社スノーピーク代表取締役社長)
    国見昭仁(株式会社電通ビジネスデザインスクエア未来創造室 室長)

    企画プロデュース:電通ライブ デザイン&テクニカルユニット 金原亜紀
    編集:松永光弘
    写真撮影:船本諒


    ■「地方の弱小企業」の「すごく高い目標」

    国見:そのあたりのことを含めてスノーピークでは、企業のミッションとして「The Snow Peak Way」※というステートメントを書かれていますが、あれは非常にビジョナリーですよね。事業としての計画はもちろんあるのだけど、それ以上に明確なビジョンがあるからこそ、社員もついていくのだなと納得できます。

    ※「The Snow Peak Way」……https://www.snowpeak.co.jp/about/01missionstatement.html

    山井:「The Snow Peak Way」を書いたのは、89年か、90年のことですが、当時は社員もまだ20人くらいでした。でも、キャンプには社会的なニーズがあることが分かってきていたし、いずれ日本に根づくという確信もありました。

    そういう中で自分たちが社会に貢献できる企業になるためには、やっぱりベクトルを合わせたほうがいい。そんな思いから、僕も含めた当時のメンバーにまずは自分自身のミッションを書いてもらったんです。そして、それぞれの部署の中で書いたものを突き合わせてもらって、そこでのミッションを書いてもらい、全員分のミッションと、部署ごとのミッションを僕が預かって、自分の思いを加えたりして書き上げたのが、あのステートメントです。

    さっきの話に出ていた「私達は自らもユーザーであるという立場で考え、 お互いが感動できるモノやサービスを提供します」もそうですが、他にも「自然指向のライフスタイルを提案し実現するリーディングカンパニーをつくり上げよう」とか、「私達は、常に変化し、革新を起こし、時代の流れを変えていきます」とか、「私達は、私達に関わる全てのモノに良い影響を与えます」とか、新潟の燕三条にある弱小企業にしては、ものすごく高い目標を掲げていたと思いますよ。「私達スノーピークは、一人一人の個性が最も重要であると自覚し…… 」なんて、30年近くも前に、ダイバーシティを語ってもいますから(笑)。

    国見:本田宗一郎さんが、創業して間もない頃に、従業員に向かって「これからは世界的な視野に立ってものを考えていこう」と話したら、吹き出した人がいた、というエピソードをどこかで読んだことがあるのですが、当時の日本の状況を考えると、普通の人が笑うのも分からなくはありません。でも、そのくらいの思いきった発言をする本田宗一郎という人がいたから、いまのホンダがあるのだと思うんです。それと同じで、「The Snow Peak Way」で高い目標を掲げたからこそ、いまのスノーピークの成長があるとも言えますよね。

    山井:そうですね。ただ、「The Snow Peak Way」に関しては、僕がトップダウンで決めたわけじゃなくて、みんなが参加して決めたことなんです。それを掲げて30年近く、みんなで愚直にやってきた。そのことは大きかったなと思いますね。


    ■「住まいや暮らしをつくるもの」としてのキャンプ

    国見:いまはそこからさらに、いろんな事業を新たに立ち上げてもおられます。新規事業に取り組むときには、やっぱり「The Snow Peak Way」に立ち返られるのですか?

    山井:スノーピークとしてやる事業はすべて、まず「The Snow Peak Way」に合致しているかどうかを考えます。例えば、アパレル事業にしても、アウトドアをテーマにしたブランドなんて、すでにたくさんあるわけですよ。でも、「ホームとテント」、つまりは「日常生活とキャンプシーン」をそのまま行き来できるものはまだないんです。東京で着てもかっこいいけど、キャンプシーンでもちゃんと機能する。そうであってこそ、スノーピークならではのアパレル事業ですよね。そういったコンセプトの部分は、特に大切にしています。

    国見:山井さんの娘さんで、アパレル事業を立ち上げられた梨沙さんが、以前、「キャンプに行くときに、みんな登山用のアウターとか着ていくけど、本当はそんなのはいらないと思う。キャンプに行くのと、家にいるのと、同じ格好で大丈夫」とおっしゃっていたのがすごく印象的だったのですが、確かにそういうアパレルブランドはありませんし、そういう考え方はスノーピークらしくもありますよね。だいたいアウトドアの衣料って、自然に負けない、自然に打ち克つというスタンスでやっているところが多いと思うんです。でも、スノーピークはまったくそういうところがなくて、基本は共生ですから。

    山井:少しだけ話は変わりますけど、アパレル事業といえば、表参道の直営店でうちの服を買ってくださっていた人が、1年くらいしてから初めて、「えっ、スノーピークって、キャンプもやってるの?」って気づいてキャンプを始めた、という話をこの間、聞いたんです。それってすごくいいことだなと思いましたね。ファッションの奥行きとしてキャンプがあるわけで……。だから、最近はそういう人向けにも、キャンプのイベントを組んだりしているんです。いまはユーザー全体の10パーセントくらいが、そっちから入ってこられています。

    国見:他にも新たな試みとしては、マンション事業に関わったりもされています。

    山井:そうですね。この春、東京の立川市に建った「パークホームズ立川」というマンションでは、三井不動産レジデンシャルさんとコラボレーションしました。マンションって、ご存じのように、上の階の部屋から売れていく傾向があるじゃないですか。1階の部屋は眺望のことや防犯上のことなんかもあって敬遠されることも多くて、少し値段を下げてやっと売れる、という感じです。でも、1階の部屋には専用庭がついていたりするんですよね。それを「野遊び」ができる場所だと捉えて、「半ソト空間」という名前をつけて、アウトドアライフを住居に取り込む提案をしたんです。しかも、強気に上層階と同じ価格で売り出した。そうしたら、なんと上の階の部屋よりも早く、1階が売り切れてしまったんですよ。

    他にも、東京の中央区にある「パークタワー晴海」というタワーマンションでは、敷地内にキャンプサイトをプロデュースしたり、アウトドアの要素を取り入れたパーティールームをデザインしたりするだけじゃなく、モデルルームで専有部の内装にキャンプ用品やアウトドアグッズを取り入れた暮らしを提案したりもしています。いわば、マンションの毎日がキャンプ生活ということです。こういう取り組みをいくつかやってみると、僕らが思っている以上に、キャンプには住まいや暮らしをつくるものとしてのニーズがあるのだなと感じます。

    国見:キャンプのニーズ、アウトドアのニーズは、オフィスにもあると思うんです。電通の僕らのチームも4年くらい前から、アウトドアオフィスをやっています。多いときだと週に1回。朝から夕方まで、ずっと外のテントの中で打ち合わせをするのですが、それだけで出てくるアイデアの質が全然違うんですよ。

    山井:そうでしょ? 僕らも横浜市と一緒に実証実験をしたりしているのですが、午前中は普通にいつものオフィスで会議をやってもらって、午後はやっぱり外に出てスノーピークのテントの中で同じように会議をやってもらうんです。それで会議がどのくらい変わるのかを見るわけですが、質ももちろん変わりますけど、とにかく午前と午後では、働いている人たちの顔の表情が全然違ってしまうんですよ。

    国見:それは本当によく分かります。アウトドアオフィスをやると、テントを畳んだ後に、仕事をすることが自分の人生の遊びのひとつになっているという実感が、ものすごく残るんです。だから、キャンプを休日だけのものとしているうちは、週に2日しか人間性の回復ができないのだけど、アウトドアオフィスを取り入れると、それが週7日にまで増える可能性があると思うんですよ。ただ、東京にはテントを立てる場所があまりないのが悩みどころで……。

    山井:それでも、屋上でアウトドアオフィスをやったりする企業が増えてきていますよね。


    ■好きなことをやって、社会のためになる

    国見:話は変わりますけど、いまスノーピークはグランピング※にも力を入れていますよね。僕も今年の2月に、北海道の十勝でのグランピングに参加させていただきましたが、あれは非常に素晴らしい体験でした。

    ※グランピング……「魅力的」を意味する「グラマラス」と「キャンピング」からつくれらた造語で、優雅に自然を満喫できるキャンプのこと。

    山井:恐らく日本で初めて行われた、本格的な本物のグランピングですね。

    国見:でも、どうして冬の十勝なのですか?

    山井:2月の十勝に来ませんか、気温はマイナス15度です、と話すと、「極寒」というイメージですよね。そこに魅力的な3日間がくり広げられるなんて、誰も思わないじゃないですか。十勝の地元の人たちもそうなんですよ。大規模農場が多いので、冬は街全体がほぼ冬眠状態です。よそから人が来て、そんな場所で喜んで過ごすなんて、まったく思いもしない。そこに我々スノーピークが行って、グランピングというプラットフォームを提示して、犬ぞりとか、気球とか、もともとあったものも含めてコンテンツとしてパッケージして発信すると、どうなるか。それをやってみたかったんです。

    食材も基本的にはオーガニックなものを使っているし、スノーピークはレストラン事業もやっていますから、そのレベルの料理を冬の十勝で食べてもらえる。そういう我々がもっているリソースを投入して、冬の十勝を豊かなものとして発信してみたわけです。実際に体験してみて、面白かったでしょう?

    国見:面白かったし、自分の中での残存期間がすごく長いと感じました。日常に戻っても、ずっと体の中に体験が残っているんです。もちろん、キャンプに行っても近いことは起こるのだけど、グランピングはそれがずっと長いんです。

    山井:十勝は本当に豊かな場所ですからね。でも、十勝と白馬は別格だとしても、自然は本来どこでもきれいなんです。東京の近くでも、筑波だってきれいだし。それに、どこの地方にも自然はあります。個性が違っているだけで、条件的にはそんなに変わらない。あとは、それを何とかしよう、生かそう、と思うかどうかなんです。

    国見:実際に最近は、地方創生にもかなり力を入れておられますよね。地方のいろんな資産を使いながら、人間性が回復できる場を日本中につくっていこう、と。

    山井:いまは全国で30カ所くらいの地方創生に関わっていますね。そもそも僕は、若い頃から、JC(青年会議所)やYEG(商工会議所青年部)に籍を置いたりして、地元の燕三条の街づくりには随分関わってきたんです。もちろんスノーピークも成長させたいと思っていましたけど、自分たちだけが良くなっても仕方がないじゃないですか。だから、燕三条のすべての産業が発展するように、できることをやろうと思ってやってきたんです。

    そういう経験が根っこにあって、さらにスノーピークの活動をいろいろやっていく中で、キャンプをやるとまず個人の人間性が回復されて、次に家族の絆が深まって、コミュニティができるということが分かってきた。地方創生は、その延長上にあるものだと思うんですよ。コミュニティが集まったものが地方だと思うので。だから、僕のなかでは、キャンプから地方創生まで、全部がつながっているんです。

    国見:昔、あるイベントでご一緒させていただいたときに、ふと思い立って、「山井さんの経営にロマンはどのくらいの割合を占めているんですか?」と質問したら、迷わず「9割」と答えられましたよね。「ロマンが9割の経営」って初めて聞きましたし、僕はいろんな社長とお仕事をさせていただいていますが、その中でも圧倒的に高い割合です。でも、そのロマンがあるからこそ、本当に大切なことに真っ直ぐに挑戦できるし、いまおっしゃったような大きな世界を描くこともできるのでしょうね。

    山井:好きなことをやっているだけとも言えますけどね。スノーピークはもともと僕の父が創業した会社で、彼はロッククライミングが好きだった。僕はキャンプが好き。で、次の世代のうちの娘はアパレルが大好き。好きなものは違うんですけど、自分たちが好きな領域で仕事をして、それが社会のためになっている。同じことが、スノーピークに参加する誰にでもあてはまるといいなと思います。好きなことをやって、社会のためになるというオープンなプラットフォーム。スノーピークは、そんな会社でありたいですね。


    (了)


    【登壇者プロフィール】

    山井太(やまいとおる)
    株式会社スノーピーク代表取締役社長。1959年、新潟県三条市生まれ。明治大学卒業後、外資系商社勤務を経て、86年に父親が創業した現在のスノーピークに入社。アウトドア用品の開発に着手し、オートキャンプのブランドを築く。96年から現職。毎年30~60泊をキャンプで過ごすアウトドア愛好家。徹底的にユーザーの立場に立った革新的なプロダクトやサービスを提供し続けている。14年12月、東証マザーズに上場。15年12月、東証一部に市場変更。

    国見昭仁(くにみあきひと)
    株式会社電通 ビジネスデザインスクエア未来創造室 室長。1996年、都市銀行に入行。法人向け融資業務を担当した後、広告会社を経て、2004年に電通に入社。10年には、経営者と向き合って企業のあらゆる活動を“アイデア”で活性化させる「未来創造グループ」を立ち上げる。15年からエグゼクティブ・クリエーティブ・ディレクター。化粧品、家電、通信、アパレル、旅行、通販、外食、流通をはじめとしたさまざまな業界において、経営、人事、事業、チャネルなどの広範囲におけるビジネスデザインプロジェクトを多数手掛けている。

    • 左:山井さん 右:国見さん

      左:山井さん 右:国見さん

    2017年9月20日(水)開催
    「人生に、野遊びを。」の抄録です。

    スノーピークの「好きなことをやって、社会のためになる経営」(前編)
    GINZA PLACEの「common ginza」を舞台に、さまざまなジャンルのつくる人たちを招いて「トークイベント+α」を発信していく「パノラマトーク」。第7回は『人生に、野遊びを。』というテーマで、オートキャンプのパイオニアである株式会社スノーピーク代表取締役社長の山井太氏と株式会社電通ビジネスデザインスクエア未来創造室 室長の国見昭仁氏さんによるトークが行われました。

    日時:2017年9月20日(水)19時〜
    場所:GINZA PLACE内「common ginza」

    山井太(株式会社スノーピーク代表取締役社長)
    国見昭仁(株式会社電通ビジネスデザインスクエア未来創造室 室長)

    企画プロデュース:電通ライブ デザイン&テクニカルユニット 金原亜紀
    編集:松永光弘
    写真撮影:船本諒

    ■言いつけを守って「山に登らない」

    国見:山井さんとは、もう3年半くらいお仕事でご一緒させていただいていて、これまでにも折に触れていろいろとお話も伺ってきたのですが……、子どもの頃はガキ大将として街の子どもたちを従えていたり、時間があれば近くの川で泳いだりと、本当に好きなことばかりされていたそうですね。ただ、お父さまの言いつけで、山には登られなかったとか。

    山井:そうですね。山にはいまも登りません。うちの父はスノーピークの創業者なんですけど、一方で熱心なロッククライマーでもあったんです。毎週のように谷川岳に登りにいくようなヤバい人で(笑)。僕もその父が持っていた山のアルバムを見るのが幼稚園のときから大好きで、小学校に入って字が読めるようになったら、学校の図書館にあった登山家の伝記を全部読んでしまうくらい、山に憧れてはいたんですけどね。

    国見:それなのに、山に登らないのですか?

    山井:小学4年のときに、自宅の座敷で正座させられて、父に厳しく言われたんです。「お前は山に行かせない」と。きっと自分の命を危険にさらすようなものに魅力を感じる、僕の性格を見抜いていたんですね。その後、僕の興味を逸らすように、野球をやれと言い出して、小学5年のときに地元の野球チームに入ってからは、高校まで野球ばっかりやっていました。

    国見:でも、いろいろとお話を伺うかぎりだと、山には登らなくても、危険な目には随分遭っておられますよね。

    山井:いや、父は本当に正しかったなと思いますよ。僕はフライフィッシングが趣味なんですけど、里川でやるのはあまり好きじゃないんです。危険じゃないから、面白くない(笑)。だから源流に行くんです。しかも滝を3つくらい越えていくような最源流が好きでね。毎年、必ずどこかに行くんですけど、滝壺には何回か落ちています。ずっと通っているところでも落ちているし、宮崎県の椎葉とか、岩手県の奥のほうでも落ちていますね。

    これ、滝壺だから笑っていられますけど、ロッククライミングだったら1回で死んでいます。そういう意味で、父は正しかったなと思うんですよ。まあ、山には登らないとはいえ、たまにアイゼンを履いたり、ピッケルを持ったりもしているんですけどね(笑)。でも、それもあくまでフライフィッシングのため。一応、言いつけは守っています。

    国見:子どもの頃は、いわゆるアウトドアっぽいことはされなかったのですか?

    山井:父にはたまにキャンプに連れていってもらいました。米軍払い下げのカビ臭いテントを持って。でも、それも山じゃなかったですね。川辺のほうでした。

    ■キャンプは「人間性」を回復してくれる

    国見:そのキャンプが自分の人生に欠かせないなと思うようになったのは、いつのことですか?

    山井:東京でサラリーマンをしていたときですね。大学も東京だったのですが、卒業して働き始めて2年くらい経ったときに、体の調子がおかしくなってきたんです。外資系のブランド商社で営業企画の仕事をしていたのですが、入社したときに、総務部長に「この会社は、1人の新入社員を育てるのに、どのくらい投資するんですか?」と聞いたら、「1億」と言われてね。そんなわけないんだけど(笑)、もしかしたら父に呼び戻されることもあるかもしれないとは少し思っていたので、それをまず純利益で返そうと考えていたんです。だから、上司から「山井の担当はここだ」と言われても、いらないから、全部新規開拓させてくれ、と申し出て……。

    その会社には結局、4年半くらいいたのだけど、その間の1年あたりの売り上げは、僕ひとりで平均10億円くらい上げていましたね。粗利は50パーセントくらいだから、だいたい純利益が2億円。多分、1年で“貸し借りなし”にはなっていたと思います。ただ、けっこうなハードワーカーだったこともあって、心身に異常を来したみたいで。

    国見:そのときにキャンプを思い出したわけですか。

    山井:幼少期から高校まで、多分、30回くらい父にキャンプに連れていってもらっているはずなんですけど、回数はいまと比べるとすごく少ないものの、やっぱりそれが僕の中であるベースになっていたんです。切実にキャンプに行きたいな、と思うようになりましたから。

    国見:文明社会には、便利なことがたくさんある反面、人間性を損なう側面もありますよね。便利って大切なことなんですけど、人間性を切り捨てているところもありますから。例えばメールにしても、わざわざ手紙を書かなくてよくなった分、効率的だし、労力も軽減されていますが、その裏で、便せんを選ぶドキドキ感とか、文字を1文字ずつ丁寧に書いて思いを込めるというような人間的な部分が捨てられているわけで……。

    山井:そうやって失われてしまったものが、キャンプで回復されるのだと思いますね。僕は「人間性の回復」と言っているのですが、実際にキャンプフィールドにいる人たちを見ても、大人も子どもも、みんな幸せそうな顔をしています。家族の絆も深まるし、一人一人が豊かな気持ちでいると、たまたま隣り合った家族がすぐ仲良くなったりもする。キャンプをすれば、1人のユニットとコミュニティが同じ方向で回復されていくんです。

    国見:東京で働いていたときは、ご自身でも人間性が損なわれていると感じられていたのですか?

    山井:感じていましたね。

    国見:でも、仕事の休みにキャンプに行ったりはされなかった?

    山井:行かなかったですね。市販のキャンプ用品に、自分の気持ちにフィットするようなものがなかったから。ダサいやつで行きたくないじゃないですか(笑)。これを使ってキャンプをすれば、豊かな時間が過ごせるというものが、当時はなかったんです。

    ■リスクを先に整理する

    国見:お父さまも確か、自分が使いたい登山グッズがないからと、それをつくり始めて創業されたとか。同じ感覚ですね。

    山井:そうですね。でも、ちょうどその頃に、父に帰ってこいと言われたんです。サラリーマン3年目くらいのときですが、突然、父から電話がかかってきて、「(帰ってくると)約束したじゃないか」と言う。約束といっても、最後に「家を継げ」と言われたのは、小学6年のときですよ(笑)。それ以来、中学、高校、大学と何も言わなかったから、東京で就職したのだし、もともとスノーピークに入るつもりはなかったんです。

    けど、いま話したように、僕自身は東京で働くなかで人間性を阻害されていて、もうキャンプをやりたくてしようがなくなっていたし、自分が望むようなキャンプ用品がないこともよく知っていた。だから、父にそう言われたときはすぐに、「帰って、自分が望むかっこいいキャンプ用品をつくって、社内起業するしかない」と思いましたね。
     
    国見:そこでもまた新規の取り組みですか。

    山井:そう。当時のスノーピークは、売り上げが5億円くらいで、それほど大きな規模ではなかったのですが、会社はちゃんとまわっていました。そこに自分が加わるわけだから、新たに何か売り上げが立つことをやろうと思ったんです。じゃないと、自分の給料が出ないので。それに、1人で10億円の売り上げを上げていたのに、5億円のパイじゃ面白くないとも思っていたし……。

    それで、86年7月にスノーピークに入った後、1年半の間に新商品を100個くらいつくって、カタログもつくって、新しい事業を立ち上げました。商品デザインの考え方のベースになる「スノーピークレイアウトシステム」※を考えたのも、そのときでしたね。

    ※スノーピークレイアウトシステム……スノーピークが提唱する、あらゆるフィールドで自由自在に美しく快適なアウトドアプロダクトのレイアウトを実現できるシステム。

    国見:5億円の売り上げ規模の企業で新規事業を立ち上げるだけでも大変なのに、それを1年半でやったというのは、並大抵のことではありませんよね。

    山井:最初の半年は、特にいろいろありましたね。もともと営業企画をやっていたので、商品企画はできますから、スノーピークに入ったときにCADを買って、自分で設計して開発を始めたんです。

    で、あるとき、企画した商品を社長である父のところに持っていって「商品化したい」と言ったら、「いくらかかるんだ」と聞かれました。「金型をつくるのに100万円くらいかかる」と答えたら、今度は「いくつ売れるんだ」と聞く。僕は神さまじゃないし、そんなの分かるわけないと思ったから「分からない」と答えたんです。そうしたら、「じゃあ、ダメだな」と言われて、それで終わりです。

    国見:禅問答みたいですね。普通はメーカーといえば、自分たちでまず商品をつくって、展示会をやって、顧客に来てもらって買ってもらう、というやり方をしますよね。そうではなかったのですか?

    山井:少なくとも父は、そういう思考回路じゃなかったですね。別の商品の企画を持っていっても同じで、そういうやりとりを、半年で10回くらいやったんですよ。だから、その次のときは、今度ダメだったら、もう独立して自分で商品化しようと思って、先に顧客のところをまわりました。スノーピークに入ってから、商品を企画する一方で、新規顧客の開拓をして、リレーションをつくってはいたので、予約注文を入れてもらおうと思ったんです。もちろん、もしかしたらまた却下されてしまうかもしれないけど、そうしたら独立して自分でつくるから、と言って、新商品のスケッチを片手に、とりあえず金型を起こす費用分の注文だけは先に集めました。

    父のところへは、その注文書の束を上着の内ポケットに入れて、反対側のポケットには辞表を入れて、提案に行きましたね。企画した商品を見せたら、例によって「いくらかかるんだ」と聞いてくる。「金型代で100万円」と答えると、また「いくつ売れるんだ」と言う。そこで注文書の束を叩きつけて、「注文は取れるんだ」と言い返したんです。そうしたら、「何をのんびりしているんだ、早くやれ」と言うんですよ(笑)。ひどいでしょ? でも、それが僕に対する父の帝王教育だったんです。リスクを先に整理しなさい、ということですね。

    ■「自分はスノーピークのファン」

    国見:金型代のリスクを、予約注文という裏づけで整理したということですか。そのやり方で、そこから100アイテムつくられたわけですね。

    山井:そうです。でも、逆に良かったのは、金型を起こしていないから、お客さんの要望を聞くことができたんですよ。「普通は展示会の案内を手にして、来てくださいと話しにくるのに、お前が持ってくるのはスケッチだもんな。変わってるよな」なんてさんざん言われましたけど(笑)、でもそのスケッチを見ながら、「ここが三角だったら買う」とか「ここがあと10ミリ太いほうがいい」とか、言ってくれるじゃないですか。そうやって一緒に商品をつくっていくことができたおかげで、めちゃくちゃ太いリレーションができたんです。

    国見:山井さんはよく、「自分はスノーピークのファンなんだ」という言い方をされますよね。近くで見ていても、社長というよりはユーザーとしてスノーピークに関わっておられる印象があります。だから、これだけ好きなことをやっているのに、「俺がやっている」という感じにならないんだと思うんです。いまのお話もそうですが、社員はもちろん、ユーザーさんも含めて、常にみんなでやっているという感じがしますね。

    山井:主語はいつも、「私たちスノーピークは」でありたいとは思っていますね。

    国見:そこのところは、働き方を考える上で、すごく大切なことだと思うんです。この数年、働き方改革が話題ですが、ともすると時間管理の話にすり替わってしまいがちです。ただそう捉えてしまうと、議論が本質的でなくなると思うんですよ。

    あるデータによれば、本来人間は、忙しくなればなるほど、充実感を覚えるものなんだそうです。でも、ほとんどの場合、仕事が忙しくなると充実感は低下していく。その違いはどこにあるのかというと、関係性だというんです。要するに、一緒に働いている人たちとの関係性がいいほど、忙しくなると充実感が増す。でも、関係性が悪ければ、充実感は低下する。仲のいいクラスでやる学園祭って、楽しいじゃないですか。でも、仲の悪いクラスでやる学園祭ってつまらない。それと似ている気がします。

    山井:スノーピークでは、土日はほとんどキャンプのイベントが入っています。毎週ですよ。だから、入社の面接に来る人たちはみんな決まって「キャンプが大好きです」なんて言うのだけど、もし本当はキャンプが好きじゃないのに、うそをついて入社したとしたら、すごく不幸になるんですよ。毎週、毎週、キャンプだから。そうやって自分を偽って入ってきた人は、やっぱり続かないですね。だから念のために、内定者の最終研修は、2月の雪中キャンプにしているんです(笑)。

    でも、ちゃんとキャンプが好きな人が残ってくれているおかげで、社員の価値観が共通していて、やりやすいのは事実ですね。それに、いまいろいろとビジネスの幅を広げているんですけど、「キャンパーとして、我々はビジネスをどう変革するか」「キャンパーとして、どう地方創生に関わるか」と、すべて「キャンパーとして」やっていますから、価値観は特に大切なんです。


    【登壇者プロフィール】

    山井太(やまいとおる)
    株式会社スノーピーク代表取締役社長。1959年、新潟県三条市生まれ。明治大学卒業後、外資系商社勤務を経て、86年に父親が創業した現在のスノーピークに入社。アウトドア用品の開発に着手し、オートキャンプのブランドを築く。96年から現職。毎年30~60泊をキャンプで過ごすアウトドア愛好家。徹底的にユーザーの立場に立った革新的なプロダクトやサービスを提供し続けている。14年12月、東証マザーズに上場。15年12月、東証一部に市場変更。

    国見昭仁(くにみあきひと)
    株式会社電通 ビジネスデザインスクエア未来創造室 室長。1996年、都市銀行に入行。法人向け融資業務を担当した後、広告会社を経て、2004年に電通に入社。10年には、経営者と向き合って企業のあらゆる活動を“アイデア”で活性化させる「未来創造グループ」を立ち上げる。15年からエグゼクティブ・クリエーティブ・ディレクター。化粧品、家電、通信、アパレル、旅行、通販、外食、流通をはじめとしたさまざまな業界において、経営、人事、事業、チャネルなどの広範囲におけるビジネスデザインプロジェクトを多数手掛けている。
    • 舘鼻さん

      舘鼻さん

    2017年9月4日(月)開催
    「清川あさみと舘鼻則孝のアートな日常、そして人生。」の抄録です。

     「アーティスト」と「アートディレクター」の境目はどこにあるのか(後編)
    GINZA PLACEの「common ginza」を舞台に、さまざまなジャンルのつくる人たちを招いて「トークイベント+α」を発信している「パノラマトーク」。第6回は、『清川あさみと舘鼻則孝のアートな日常、そして人生。』というテーマで、写真に刺繍を施す手法を用いて繊細な表現を施したアート作品や絵本、映像、広告、空間デザインを手掛けるなど、幅広いジャンルで活躍中の清川あさみさんと、自作の「ヒールレスシューズ」をレディー・ガガが採用したことで一躍世界的な注目を浴び、最近は文楽の監督やレストランのクリエーティブディレクションまで手掛けている舘鼻則孝さんによるトークが行われました。

    日時:2017年9月4日(月)19時〜
    場所:GINZA PLACE内「common ginza」

    清川あさみ(アーティスト)
    舘鼻則孝(アーティスト)

    企画プロデュース:電通ライブ クリエーティブユニット 金原亜紀
    編集:松永光弘
    写真撮影:船本諒


    ■自分が関わった作品を「分けない」

    舘鼻:こうして改めてお互いの活動を振り返ってみると、かぶってはいないものの、似ているところもありますね。2人ともアーティストなんだけど、デザイナーや、アートディレクターの側面もありますし。

    僕でいえば、さっきも話が出ましたけど、いまレストランのクリエーティブディレクションをしていて、ロゴのデザインやフードのディレクション、店内に置かれる彫刻作品の制作や建築デザインまで、全てに関わっています。そこにはアーティストの側面もあり、デザイナーとしての側面もあり、アートディレクターとしての側面もあるわけです。

    清川さんにしても、針を持って写真に刺しゅうを施しているときはアーティストだけど、化粧品のパッケージデザインをしているときはデザイナーかもしれないし、広告で使うポスターのディレクションをしているときはアートディレクターですよね。清川さん自身は、そのあたりの境目はどう考えているのですか?

    清川:そうですね…。逆に、舘鼻くんがいちばん最初に目指したのは、何だったんですか?

    舘鼻:僕はファッションデザイナーを目指していたんです。で、そのときは、自分のファッションブランドがずっと残るようにしたいと思っていました。シャネルとか、カルティエみたいに、本人がいなくなってもブランドは存続するということです。

    だけど、2010年のレディー・ガガさんの仕事がきっかけで、方向転換しようと思ったんですよ。作家になろうと思ったんです。どういうことかというと、僕は1985年に生まれて、いずれ何年かに死ぬわけですが、そうしたらそこで僕の時代は終わり、ということ。ファッションブランドだったら、死んでからも残るかもしれないけれど、作家だと舘鼻則孝が死んだら終わり。何年から何年までと区切られますよね。そうやって歴史に足あとを残すことのほうが、自分が求めている生き方に近いなと思うようになったんです。

    清川:私はアーティストから始めたわけですけど、作品を見た人が、それをこういうところで使いたいと言ってくれたことで、デザイナーの仕事になっていきました。さらに、ものをつくるだけじゃなく、世界観そのものを表現してほしいと言われて、アートディレクターの仕事になっていったわけですが…、そういう変化が起こったそのときは混乱していましたね。だから、最初は自分の中では、それぞれを分けて活動していたんです。アーティストの作品とデザイナーの作品は違うって。

    でも、分けなくてもいいんじゃないか、と最近は思うようになってきています。手を動かしてつくったものはもちろん作品だし、それこそ、いちばん最初は自分で自分を飾って表現していたわけですけど、それも作品だし、たくさんの人たちと一緒につくっていくものも作品だし…。全て自分が関わった作品だから、分ける必要はないんじゃないかと思うんですよ。

    それに、いまは個人戦の時代じゃない気がしているんです。分かる人が分かればいい、ということではなくて、やっぱり伝わってこそだし、共有できてこそ、だと思う。何かしら、誰かに感じてもらうことが大切で、それが大きくなれば、みんなで時代をつくっていくようなことにもつながるのかなって。

    舘鼻:僕らが生み出す作品は、コミュニケーションツールなんですよね。それを通して、何かを伝えたり、感じてもらったり、共有したりする。そのための装置を生み出している感覚が、僕の中にも非常に強くあります。だから単純に「靴をつくっています」ではなくて、その靴がどういう意味を持つのか、履いてくれた人が何を感じて、何を発信したくなるのか、ということまで考えます。いまこうやってしているおしゃべりも、もちろんコミュニケーションですが、作家にとっては、ものづくりはそれ以上にすごく有用なコミュニケーションの手段ですからね。

    清川:本当にそう思います。私たちがしているのは、想像したことを形にして、見ている人にどこか余白を残すような仕事。どうして、ここにこれがあるんだろうとか、何でもいいんですけど、つくったものに触れた人が、余白の部分に何かを感じる。そういうことがすごく大事ですよね。


    ■お客さまとの関係性が原動力

    清川:ちなみに、舘鼻くんの原動力は何ですか?

    舘鼻:お客さまとのサイクルですね。いまの僕の活動が靴から始まっているということもあるのですが、お客さまがいるということが当たり前なんですよ。だから、どういう作品にするのかも、注文されてから考えます。実際に面と向かって、お客さまと話し合うなかから作品を生み出しますから。

    日本ではまだそこまで多くの人たちに履いていただいているわけじゃないんですけど、海外だとアメリカやイギリスなど、いろんなところで僕の靴を履いてくださっている人がいるんです。中には、僕がつくった靴しか履かないといってくださっている人も何人かいて、1回に30足とかオーダーされる。要するに、アーティストとパトロンの関係性です。

    そういうお客さまが、わざわざ東京の青山にある僕のアトリエまで来てくれるわけですよ。そこでいろいろと話をして、どういう作品にするかを考えていく。で、出来上がったら、僕は必ず自分でお客さまのところまで届けにいくんです。まあ、そこで新しいオーダーをもらって帰ったりもするのですが(笑)、大体そういうサイクルなんです。でも、このサイクルは1人ではまわらなくて、自分とお客さまとのリレーションシップで成り立っています。その関係性が僕の原動力になっていると思いますね。

    清川:私は普段の生活の中で、ニュースを見たりいろんなことをしているときに、必ず何か矛盾を感じるんですよ。自分と何かのギャップとか。それが作品になりやすいですね。

    舘鼻:自分の感情は常に変化するわけですけど、それを形にしていくのが作家ですから。作品というツールを通じて、僕らはさまざまな想いを共有しようとしているのでしょうね。


    ■挑戦することは僕らの仕事

    舘鼻:あと、実は僕には前からすごく気になっていることがあるので、最後に聞きたいのですが、清川さんはその小さな体で、あれだけたくさんの仕事をしているわけですよね。どうやって時間をつくって仕事をしているのかなって、5年くらい前からずっと思っているんですよ(笑)。実際のところ、どういう毎日を送っているのですか?

    清川:私、朝は5時に起きるんです。子どもが起きてしまうということもあるんですけど、もともと早起きなんですよ。起きてすぐ、子どものことをいろいろやって、それからメールをチェックしたりするのですが、いちばんアイデアが浮かんだり、ラフスケッチがはかどったりするのは、その後ですね。

    舘鼻:それは何時から何時くらいの話ですか?

    清川:自分が飽きるまでやるんですけど、大体、午前中です。アトリエに行くときもあるし、自宅のこともあるのですが、ただアイデアが浮かびやすいのは移動中なんです。そこでふわっといろいろ浮かんで、書き留めるのが次の日の朝、という感じですね。

    舘鼻:アイデアが浮かんだときにメモを取るわけじゃないんですか?

    清川:メモを取ってもなくしてしまうんですよ、私(笑)。でも、いいアイデアは必ず覚えていますから。

    舘鼻:浮かんだアイデアは、割とすぐに作品化するのですか?

    清川:そこはうまく言葉にできないのですが、頭の中に構造ができて、プロセスが決まって、ゴールが決まったら、作品にします。自分にしか分からない世界ですけど(笑)。ただ、その頭の中にあるものを周りに伝えるのが大変で…。

    舘鼻:ああ、それは分かります。清川さんもそうだし、僕もそうなのですが、チームで動くじゃないですか。いろんな人に関わってもらうわけだから、ビジョンを共有しなくてはいけないのだけど、それを説明するのは大変ですよね。いつも葛藤の連続です。

    清川:私もそうです。自分の中のゴールはここなのに、まだここにいる、どうしようって、いつも思っています。しかも、それが何個もあるし…。形にしていくのって、本当に大変ですよね。

    舘鼻:とはいえ、こうして実際に会うと、清川さんはすごく優雅な時間を過ごしているように見えるんですよ。いつ忙しくしているのかなと不思議なんですけど、夜中まで仕事をしているのですか?

    清川:夜中は必ず寝ています(笑)。5時に起きますから。だから、やっぱり朝ですね。朝の仕事のスピードは本当にすごくて、そこで全て終わらせるというくらいの速さでやっています。

    あと、100点でなくてもいい、と思うようにはしていますね。放っておくと、120パーセントのクオリティーを追い求めてしまうほうなので、そのくらいの気持ちでいるのがちょうどいいんです。全てのことに飛び込むわけにはいかないので。さっきもお話ししたように、職人さんに「意味が分からない」と言われながらもアクリルに糸を閉じ込めたりして(笑)、毎回、新しいことに挑戦していますから。

    舘鼻:挑戦することは、僕らの仕事ですからね。

    清川:さっきも話したように、そこを理解してもらってチームでつくっていくのは本当に大変なんですけど、でも乗り越えて、作品を形にして、新しい世界が広がったときにはすごくうれしいんですよね。だからやめられないのかな、とも思いますけど。

    舘鼻:よく分かります。僕のヒールレスシューズにしてもそうですが、実際に体験した感覚が予想していたものと違うと、みんな驚くわけです。そうやって新しい価値観を感じてもらえるような場を提供できたときは、本当にうれしいですよね。

    (了)


    【登壇者プロフィール】

    清川あさみ
    淡路島生まれ。2001年に初個展。03年より、写真に刺しゅうを施す手法を用いた作品制作を開始。水戸芸術館や東京・表参道ヒルズでの個展など、展覧会を全国で多数開催。 代表作に「美女採集」「Complex」シリーズ、絵本『銀河鉄道の夜』など。作家、谷川俊太郎氏との共作絵本『かみさまはいる いない?』が 2 年に一度のコングレス(児童書の世界大会)の日本代表に選ばれている。 「ベストデビュタント賞」受賞、VOCA展入賞、「VOGUE JAPAN Women of the Year」受賞、ASIAGRAPHアワード「創(つむぎ)賞」受賞。広告や空間など幅広いジャンルで国内外を問わず活躍している。現在は、福島ビエンナーレ「重陽の芸術祭」において、「智恵子抄」で著名な高村智恵子の生家でのインスタレーションも行っている。

    舘鼻則孝
    1985年、東京生まれ。歌舞伎町で銭湯「歌舞伎湯」を営む家系に生まれ、鎌倉で育つ。シュタイナー教育に基づく人形作家である母の影響で幼少期から手でものをつくることを覚える。東京藝術大学では絵画や彫刻を学び、後年は染織を専攻する。遊女に関する文化研究とともに日本の伝統的な染色技法である友禅染を用いた着物やげたの制作をする。近年はアーティストとして、国内外の展覧会へ参加する他、伝統工芸士との創作活動にも精力的に取り組んでいる。2016年3月には、カルティエ現代美術財団にて文楽の舞台を初監督し「TATEHANA BUNRAKU : The Love Suicides on the Bridge」を公演した。作品は、ニューヨークのメトロポリタン美術館やロンドンのビクトリア&アルバート博物館など、世界の著名な美術館にも永久収蔵されている。
    • 左:清川さん 右:舘鼻さん

      左:清川さん 右:舘鼻さん

    2017年9月4日(月)開催
    「清川あさみと舘鼻則孝のアートな日常、そして人生。」の抄録です。

     「アーティスト」と「アートディレクター」の境目はどこにあるのか(前編)
    GINZA PLACEの「common ginza」を舞台に、さまざまなジャンルのつくる人たちを招いて「トークイベント+α」を発信している「パノラマトーク」。第6回は、『清川あさみと舘鼻則孝のアートな日常、そして人生。』というテーマで、写真に刺繍を施す手法を用いて繊細な表現を施したアート作品や絵本、映像、広告、空間デザインを手掛けるなど、幅広いジャンルで活躍中の清川あさみさんと、自作の「ヒールレスシューズ」をレディー・ガガが採用したことで一躍世界的な注目を浴び、最近は文楽の監督やレストランのクリエーティブディレクションまで手掛けている舘鼻則孝さんによるトークが行われました。

    日時:2017年9月4日(月)19時〜
    場所:GINZA PLACE内「common ginza」

    清川あさみ(アーティスト)
    舘鼻則孝(アーティスト)

    企画プロデュース:電通ライブ クリエーティブユニット 金原亜紀
    編集:松永光弘
    写真撮影:船本諒


    ■何かを感じ取ってもらうには客観視が大切

    舘鼻:清川さんと初めて会ったのは、確か4年か、5年くらい前でしたよね。シャネルのオートクチュールのショーで、たまたま席が隣になって…。それからは、いわゆるアーティスト友だちとして、お互いの展覧会に遊びに行ったり、来てもらったりしていますけど、まだ一緒に仕事をしたことはないし、なぜかあまりオフィシャルなところで関わることはなかったですね。

    清川:そういえば、そうですね。こういう場でお話しするのも初めてですね。

    舘鼻:だからこそ、今日は改めていろいろと聞いてみようと思っているのですが…(笑)、まず、清川さんといえば、写真に刺しゅうを施した作品がよく知られています。あれはいつ頃から始めたのですか?

    清川:2003年くらいからです。当時は複製できないものに興味があって、いろいろと表現の可能性を模索していたんです。そうしたらある日、1枚の写真の上に糸が落ちているのを見かけて…。縫ってみよう、と思ったのがきっかけです。

    舘鼻:学生の頃は何を?

    清川:文化服装学院でアパレルデザインを専攻していました。でも、読者モデルみたいなこともしていたし、編集者と一緒に雑誌のページをつくったり、企画を提案したりもしていて、忙しい学生でしたね。

    舘鼻:自分が被写体として表に出たりもしつつ、同時にディレクションしたり、プロデュースしたりもしていた、ということですか。周りのファッションデザイナーを目指している子たちとは、動き方が違っていたでしょう?

    清川:全然違っていましたね。違いすぎて迷った時期もあったんですけど(笑)、そのまま活動を続けていたら、あるギャラリーに声を掛けてもらって、2001年に個展をやることになったんです。もともと卒業したらモデルの仕事は辞めようと思っていたのですが、ちょうどその頃から、CDジャケットをはじめ、デザインの仕事の依頼も来るようになって…。ギャラリーを中心に作品を発表しながら、一方で商業ベースの仕事も始めて、そこからはものづくり一本です。

    舘鼻:ディレクションしてものをつくっていく仕事と、アーティストとして作品をつくっていく活動とは、似ているようで違いますよね。割と最初から両立できていたのですか?

    清川:う〜ん、気付いてみたらそうだったという感じですね。ただ、学生の頃に自分がメディアに出たり、企画に関わったりしていたことも含めて、表と裏がよく見える立場にいることは、特にアーティスト活動に役立っているとは思います。例えば、普通ならメディアでは、女性のキラキラした表の部分だけを見せますよね。でも女性って、裏ではみんなコンプレックスを持っていて、本当はそれがすごく素敵だったりします。ずっと私が続けている「美女採集」(※)のシリーズも、そういう表と裏が見通せたからこそ始めたものでしたから。

    ※「美女採集」……美女の写真に刺しゅうなどによる装飾を施し、それぞれのイメージに合わせた動植物に変身させるシリーズ作品。

    舘鼻:確かにあのシリーズは、一般に「こうだ」と思われている女優さんたちのイメージとは、ちょっと違った内面のようなものが見えてきて面白いですよね。それが清川さんの手の痕跡を残しつつ、表現されているのも興味深いし。“採集”されている女優さんの中には、あの企画で初めて会った人もいるのですか?

    清川:むしろ、会ったことのない人を選んでいます。会ったことがあると、コンセプトが優しくなってしまうかなと思って。それに、そのとき世の中で輝いている美女を捕まえて標本にしているのは私ですけど、見る人にそこから何かを感じ取ってもらおうと思ったら、やっぱり客観視することが大切なので。

    舘鼻:なるほど。分析はどうやって?

    清川:全部、自分で調べます。リサーチ魔ですから(笑)。でも、映像を見れば、大体性格が分かります。この人はこうだなって。それを書き出していって、読み解いて、動植物に例えているんです。例えば、夏木マリさんだと、行動とか佇まいとかが、全て形状記憶されているような印象がありますよね。ずっと残り続けていきそうな。そういうイメージからアンモナイト。いま大人気の吉岡里帆ちゃんなら、いろんなものに巻きついて栄養を取り入れて、どんどん成長していく感じがアサガオかなと。橋本マナミさんは、ニシツノメドリですね。オレンジのくちばしを持った鳥で、一度にたくさんの魚を捕る。多くのものを一気に手に入れたいという積極的なところとか、そのための努力とかが橋本さんには見える気がして。

    舘鼻:あれだけたくさんの人を作品にしていると、モチーフがかぶったりしそうですけど……。

    清川:いままで200人以上採集していますが、かぶったことはないですね。人の個性って、そのくらい多様なんだと思うんです。それに作品にしたくなるのは、その中でも面白い人ですから。この人、いいな、妖しいな、と思うような魅力のある人。これは「美女採集」だけの話ではありませんが、男性も女性も、経験とか年齢とかを重ねた人のほうが作品にはしやすいですね。


    ■日本の工芸品は「用途のある芸術」だから

    清川:ところで、舘鼻くんのデビューはいつなんですか?

    舘鼻:いわゆる「世に知られるようになったきっかけ」ということで言えば、2009年につくっていた大学の卒業制作の作品ですね。清川さんもご存じのヒールレスシューズというかかとのない靴なのですが、それを2010年にレディー・ガガさんが日本のテレビ番組で履いて、僕のこともそこで話してくれたんです。それからしばらくは、レディー・ガガ専属のシューズメーカーとして、彼女としか仕事をしていなかったんですよ。もう、レディー・ガガさんのために人生を捧げているというくらい(笑)。

    清川:初めて舘鼻くんと会ったときも、そんな感じでしたっけ?

    舘鼻:たぶん、そうだったと思いますよ。ただ、僕自身は、別に靴をつくりたかったわけではないんです。僕は東京藝術大学の工芸科で染織を専攻してきていて、日本のファッションというべき着物や下駄について勉強したり、花魁(おいらん)の研究をしたりしながら、より新しい価値観が感じられる作品をつくりたいと思っていたんです。あのヒールレスシューズも花魁の高下駄から着想を得ました。

    清川:私も花魁は大好きです。

    舘鼻:彼女たちは江戸時代のファッションリーダーだったんですよね。いまストリートからファッションが発信されるといわれるのと同じで、当時は吉原の遊女の格好とか、メークとかが、江戸の町娘たちに取り入れられてはやったりしていたんです。皇室のような高貴なファッションももちろんあったわけですが、そういう高尚なものだけじゃなくて、不健全だからこそファッションになったようなところがあった。僕はそこに魅力を感じて、いくつも遊女に関わる作品をつくったりしています。例えば、ステンレスの大きなかんざしのオブジェとか。もともと日本の工芸品は「用途のある芸術」です。でも、いまは普段からそういうものを使っているわけじゃない。かんざしなんて、現代の人はあまり使いませんよね。そういう「用途のある芸術」から用途を取り去ったら、見る人にどういう感覚が芽生えるのか。彫刻として見たらどうなのか、という実験的な作品なんです。

    清川:でも、ヒールレスシューズは、意外なくらいに履きやすいですよね。2012年に「VOGUE JAPAN Women of the Year」を受賞したときに、授賞式で履いて登壇させてもらいましたけど……。

    舘鼻:日本の美術って、やっぱり工芸じゃないですか。いまも話したように、用途があって、それを満たしてこそという部分があるわけです。だから、かんざしのように昔からあるものをどうにかするのではなく、現代に新たに工芸品を生み出すのであれば、それはしっかりと使えるものであるべきだし、靴なら履きやすくて、歩けなくちゃいけない。そう思ってつくってはいますね。


    ■毎回のように新しい手法を開発する

    清川:舘鼻くんは、他にもいろんな活動をされていますよね。少し前には文楽(※)にも関わっていたでしょう?

    ※文楽……浄瑠璃と人形によって演じる人形劇である人形浄瑠璃のうち、大阪を本拠とするもの。

    舘鼻:パリのカルティエ現代美術財団で公演した「TATEHANA BUNRAKU : The Love Suicides on the Bridge」ですね。僕は監督を務めたんです。といっても、舞台美術もつくったり、演出もしたりと、いろんな作業に携わりましたけど。

    清川:どういう経緯で公演をやることになったのですか?

    舘鼻:フランスではもともと人形劇が盛んで、最初はフランスの人形劇の監督をしてみないか、というオファーをもらったんです。でも、日本にも人形浄瑠璃がありますから、どうせだったら、それを世界へ持っていきたいなと思ったんですよ。その提案を、カルティエ現代美術財団が受け止めてくれたんです。

    清川:準備が大変そうでしたよね。その時期は、なかなか連絡がつかなかったから…。

    舘鼻:公演は2日間だけだったのですが、30人くらい連れて、日本から行きましたからね。一部は向こうで制作しましたし…。パリにアトリエを借りて、そこでチームと仕上げをしつつ、舞台を組み上げていったんです。

    そういうところも含めて、あの公演は日本の世界観の世界への輸出のようなものでもあったのですが、日本とフランスは、歴史的な成り立ちとか、文化的な側面で似ているところもあるからか、現地の人たちには割とスムーズに受け入れられた気がします。ただ、同じことをニューヨークでやったらどうなるのかな、とは思いますね。パリでやったような心中の物語は、日本独自の死生観では文字通りのバッドエンドではないのだけど、アメリカ人はたぶん、もっとストレートに受け止めるでしょう? 今度はそこに切り込んでみたいなとは思っています。

    清川:最近はレストランのクリエーティブディレクションもしているんでしょう? 本当に幅が広がってきていますね。

    舘鼻:いや、でも、僕はまだ大学を卒業してから7年くらいしか活動していないんですよ。しかも前半はヒールレスシューズをつくるブランドとして活動していたわけですから、まだこれからです。

    幅が広いという意味では、清川さんの活動は本当に多岐にわたっていますよね。CDジャケットのデザインをしたり、化粧品のパッケージデザインをしたり、広告のディレクションをしたり…。この間は、NHKの朝の連続テレビ小説の仕事もされていたでしょう?

    清川:『べっぴんさん』(※)ですね。オープニング映像やメインビジュアルなどを手掛けていました。

    ※『べっぴんさん』……2016年10月から2017年4月にかけて放送されたNHK「連続テレビ小説」。子ども服を中心とするアパレルメーカー・ファミリアの創業者をモデルに、戦後の時代を生きる女性の姿が描かれた。

    舘鼻:アーティストとしての活動も、さっき聞いた写真に刺しゅうを施す作品にしてもいろんなシリーズがあるし、絵本だって何冊も手掛けられていて…。本当にさまざまな表現をされていますよね。

    清川:そうですね。光の彫刻をつくったりもしているし、いろんな手法を毎回、試行錯誤しながら開発しています。例えば、最近だと「1:1」という作品があるのですが、あれを実現させるのは、すごく苦労しました。

    舘鼻:Instagramの写真を使った作品でしたよね。

    清川:そうです、そうです。いまの時代って、特にSNSなどで自分が見ている世界は、実はたくさんのレイヤーでできているんじゃないかと私は思っていて、うそも本当も、見ている世界に全部隠れている気がするんです。そのことは1枚の写真にもいえるんじゃないかと思って…。それをどう表現しようかと考えたときに、あの手法を思いついたんです。

    舘鼻:僕も実際に作品を拝見しましたけど、こんなの見たことがないと思いました。あれはどういう作業工程なんですか?

    清川:詳しいことは秘密なんですけど(笑)、私がスマホで撮った写真をネガとポジに変換したものを、たくさん並べた糸に1本ずつ交互に転写して、それをアクリルの中に閉じ込めているんです。作業を進めていくときに職人さんに「こういうことをやりたい」と言ったら、最初は「やったことがないから」となかなか理解してもらえませんでしたが、最後は、面白いから一緒につくっていこうと協力していただけました。

    ※後編につづく

    【登壇者プロフィール】

    清川あさみ
    淡路島生まれ。2001年に初個展。03年より、写真に刺しゅうを施す手法を用いた作品制作を開始。水戸芸術館や東京・表参道ヒルズでの個展など、展覧会を全国で多数開催。 代表作に「美女採集」「Complex」シリーズ、絵本『銀河鉄道の夜』など。作家、谷川俊太郎氏との共作絵本『かみさまはいる いない?』が 2 年に一度のコングレス(児童書の世界大会)の日本代表に選ばれている。 「ベストデビュタント賞」受賞、VOCA展入賞、「VOGUE JAPAN Women of the Year」受賞、ASIAGRAPHアワード「創(つむぎ)賞」受賞。広告や空間など幅広いジャンルで国内外を問わず活躍している。現在は、福島ビエンナーレ「重陽の芸術祭」において、「智恵子抄」で著名な高村智恵子の生家でのインスタレーションも行っている。

    舘鼻則孝
    1985年、東京生まれ。歌舞伎町で銭湯「歌舞伎湯」を営む家系に生まれ、鎌倉で育つ。シュタイナー教育に基づく人形作家である母の影響で幼少期から手でものをつくることを覚える。東京藝術大学では絵画や彫刻を学び、後年は染織を専攻する。遊女に関する文化研究とともに日本の伝統的な染色技法である友禅染を用いた着物やげたの制作をする。近年はアーティストとして、国内外の展覧会へ参加する他、伝統工芸士との創作活動にも精力的に取り組んでいる。2016年3月には、カルティエ現代美術財団にて文楽の舞台を初監督し「TATEHANA BUNRAKU : The Love Suicides on the Bridge」を公演した。作品は、ニューヨークのメトロポリタン美術館やロンドンのビクトリア&アルバート博物館など、世界の著名な美術館に永久収蔵されている。
    • 後藤さん

      後藤さん

    2017年7月28日(金)開催
    「篠山紀信の写真力」の抄録です。

    パノラマトーク05 「うそにうそを重ねるとリアルが生まれる」(後編)
    GINZA PLACEの「common ginza」を舞台に、さまざまなジャンルのつくる人たちを招いて「トークイベント+α」を発信していく「パノラマトーク」。第5回は『篠山紀信の「写真力!」』というテーマで、50年近くにわたって写真界の第一線を走り続けてきた写真家の篠山紀信さんによるトークが、数々の展覧会企画も手掛ける編集者、クリエーティブディレクターの後藤繁雄さんを聞き手にして行われました。

    日時:2017年7月28日(金)19時〜
    場所:GINZA PLACE内「common ginza」

    篠山紀信(写真家)
    後藤繁雄(編集者、クリエーティブディレクター)

    企画プロデュース:電通ライブ クリエーティブユニット 金原亜紀
    編集:松永光弘
    写真撮影:船本諒


    ■歌舞伎ではなく〝人間〟を撮る

    後藤:次の写真はですね、坂東玉三郎さんが若い頃のものです。これは最近出版された『KABUKI by KISHIN』からの1枚。1970年の撮影ですから、47年前ですか。

    篠山:玉三郎がちょうどハタチのときだね。当時はちょっとは人気が出ていたけど、まだそこまでの役者ではなかったんです。それがいまじゃ、人間国宝ですよ。
     
    後藤:玉三郎さん以外にも、中村勘三郎さんとか、片岡仁左衛門さんとか、市川海老蔵さんとか、『KABUKI by KISHIN』には、50年近くにもわたる、そうそうたる歌舞伎役者たち40数名もの写真が収められていますよね。普通はまずこんな写真集をつくれませんよ。

    篠山:なぜ私が歌舞伎を撮り始めたのかというとね、最初は『芸術生活』という雑誌の編集者に、歌舞伎特集をやるからと声を掛けられたんですよ。当時も、土門拳さんとか、木村伊兵衛さんとか、歌舞伎を撮る名人のような写真家はたくさんいたんです。でもその編集者は、そういう人じゃ面白くないから、若いやつに撮らせようと思ったらしい。ちょっと浅はかな発想だったんじゃないかなとは思いますよ。面白そうだと私はすぐに引き受けたけれど、そのとき撮った歌舞伎の写真は、いま見ると恥ずかしくてしようがない。そのくらい、歌舞伎を撮るのは難しいんです。

    後藤:この玉三郎さんの写真も、その頃のものですよね。

    篠山:玉三郎は、当時の歌舞伎界にあって、一人だけ背が高くて、すらっとしていたんです。この世のものとは思えないような不思議なオーラがあってね。これはすごい、舞台の上の歌舞伎は難しいけれど、この人なら撮れるかもしれないと思って、撮らせてほしいと頼んだんです。この写真は、まだ誰もいない朝の楽屋で二人きりで撮ったんですよ。小道具のろうそくを持ち込んでね。でも、この撮影がきっかけで、玉三郎は一時、勘当されたんです。

    後藤:それはまた大ごとですね。

    篠山:玉三郎ってのは、もともと歌舞伎の家の出じゃないんですね。大塚にある料亭の子で、芸養子(※注)として守田勘彌さんのところに入ったんです。養父の勘彌さんにとっては、それこそ宝物のような子で、しかもちょうど人気が出始めたときだった。それが朝から楽屋で化粧して、衣装を着て、ろうそくをともして、訳の分からないカメラマンに撮られている(笑)。悪い虫が付いたとでも思われたんでしょう。

    でも、勘当だって勘彌さんが言ったら、ああそうですか、と答えたなり、玉三郎は大塚の家に帰ってしまって、1週間たっても、2週間たっても戻らなかった。玉三郎にしてみれば、自分の若い頃のきれいな姿を、篠山さんという人が撮ってくれる、いいじゃない、ってことだったんでしょうね。

    ※芸養子……歌舞伎役者に子がいない場合などに、能力のある子供を芸上の子供として養い育てること。

    後藤:悪いことはしていないんだから、謝らない、帰らない、と。

    篠山:そういうことだね。まあ、いろいろあって、結局は丸く収まって、玉三郎も戻ったんですけどね。で、その後で、勘彌さんが、いったいどんな写真を撮っていたんだと見たら、これが結構いい写真だった。それで、「篠山、なかなかやるじゃん」って話になったとか、ならないとか(笑)。

    でもね、私がそのときに撮ったのは、やっぱり歌舞伎じゃなく、人間なんですよ。玉三郎を見つけて、玉三郎という人間に興味を持って、玉三郎という人間を撮ったんです。その後も、玉三郎のことは何年も撮っていますし、写真集も5冊くらい出しているけど、歌舞伎を撮っていないんです。人間を撮っているんですね。


    ■現代の写真を撮るなら、現代のカメラで

    後藤:面白いのは、この『KABUKI by KISHIN』という1冊の写真集の中で、先生自身も変わっていっているところですね。分かりやすいところでいえば、この玉三郎さんの写真はフィルムで撮っているけど、最近のものはデジタルカメラでしょう?

    篠山:それもよく聞かれるのだけど、いまの私の写真は、ほとんどがデジタルカメラです。だって、舞台を撮るにしても、1200ミリのレンズを使って、グワッと感度を上げたりして、テクノロジーを生かしたほうがうまく撮れるわけでしょ? やっぱりね、現代の写真を撮るなら、現代のカメラですよ。

    後藤:そこ、重要ですよね。

    篠山:私はデジタルカメラを使うようになるのが早かったのだけど、それでも最初のほうは不安だったから、同じものを35ミリでも撮っていたんです。印刷のときはその両方で組んでもらって確認したりもしていたのですが、ある時点から、刷り上がったものを見ても、どっちがデジタルで、どっちが35ミリか、見分けがつかなくなりましたね。2000年か、2001年くらいのことです。で、これならいけるということで、デジタル1本にしたんです。

    後藤:最近は、アマチュアの中にもフィルムにこだわる人も出てきているみたいですが…。

    篠山:あれはあれで、いいんじゃないですか。だって、フィルムを使うこと自体が楽しいわけでしょ? フィルムのどこがいいの、と聞いたら、「現像までに時間がかかるところが好きです」なんて答える人もいるくらいだから(笑)。

    後藤:写真の良し悪しの話じゃないってことですね。

    篠山:そうそう。つい最近も、『週刊文春』のグラビアで女優の満島ひかりを撮ったのだけど、私はもちろん全部デジタルカメラですよ。しかも、一つとしてノーマルな状態の写真はないですね。コントラストを上げたり、色調を変えたり、微妙に全部変えているんです。そのほうが、満島ひかりという子が持つ野性味だったりといったものが、すごくリアルに出るから。同じことをフィルムでやろうと思ったら大変ですよ。あれをこうして、これをああしてって、いろいろ手を掛けなくちゃいけない。でも、デジタルなら、瞬時にできてしまうわけでしょ? だから、プロとして写真を撮るならデジタルでいいんじゃないの、と私は思いますけどね。


    ■毎回がターニングポイント

    後藤:さて、篠山先生といえば、やはりヌードです。その中でも代表的な作品。宮沢りえさん。これ、本当にきれいですね。どこで撮ったんですか?

    篠山:写真集のタイトルにもなったサンタフェです。アメリカのニューメキシコ州にある、芸術がさかんなことで知られている街ですよ。ジョージア・オキーフという有名な絵描きがいて、旦那さんが、アルフレッド・スティーグリッツという、これも有名な写真家なんだけど、その夫婦がサンタフェでいろんな作品をつくっているんです。そんなこともあって、私の中にはサンタフェは一種の聖地だという印象があってね。で、18歳になったばかりのりえちゃんのヌードを撮れるというから、その聖地をぶつけてみたわけです。カメラも8×10の新品を買って臨みましたね。

    後藤:被写体へのリスペクトもあるのでしょうが、そういう条件というか、背景の部分でも徹底されているから、こういう写真が撮れるんですね。

    篠山:毎回、新しい条件で、新しいことをやって、何が起こるか分からないという中で撮っていますよ。そこに立ち向かう勇気を振り絞りながらね。こう言うと、そんなに何十年もやってたら、いまさら勇気なんていらないでしょ、なんて言われるのだけど、やっぱり不安なんです、いつも。そこを超えていくには、勇気もそうだし、覚悟のようなものが自分の中にないと駄目。そういう意味では、現役として写真を撮っているかぎりは、毎回がターニングポイントと言ってもいいくらいです。

    後藤:毎回がターニングポイントですか。

    篠山:もちろん、振り返ってみたときに、60年代とか70年代とかという時間の中で、大きく自分が変化したのはあの仕事だったな、あれが影響していたな、ということは、後から言えるとは思いますけどね。


    ■どうにもならないエネルギーの中でシャッターを押す

    後藤:『オレレ・オララ』はどうですか? ブラジルまでリオのカーニバルを撮りに行かれた…。

    篠山:さすが、いいところを突いてくるねぇ(笑)。『オレレ・オララ』は1971年に出した写真集だけど、あの少し前に私は『nude』という写真集を出したりして、当時は若手作家としてそれなりに注目されていたんです。はっきり言えば、ちょっといい気にもなっていた。いまはギンザシックスになっていますけど、あの前にあった松坂屋の7階で大きな展覧会をやったりもしていたからね。

    ただ、その頃の私は“作品っぽいもの”を撮っていたんですよ。要するに、自分のアイデアとかイメージを力ずくで写真にしたものが作品なんだと思っていた。だから、世界の果てにでも行ってヌードでも撮らなければ、もう話題にもならないし、新しいとも言われないんじゃないか、なんて信じていたんです。でもあるとき、それって不毛なことだな、と気付いたんですね。そこから、自分の力ではどうにもならないエネルギーの中に身を置いて、そこでシャッターを押すということをしてみたいと思うようになった。そのときにふと思い出したのが、リオのカーニバルだったんです。

    後藤:リオのカーニバルは、本当にすごいですよね。街を挙げて、4日間、朝も昼も夜もなく、みんなが踊り続けるんですから。

    篠山:その熱狂の渦の中に飛び込んで、そこに浸ってシャッターを押したら、どんな写真が撮れるのかなと思ったんですよ。それで35ミリ1台だけ持って、リオデジャネイロに行きました。そうしたら、本当に街中でみんなが踊り狂っていて…。通りの反対側に渡りたいと思っても、どうにも身動きが取れないくらい。じゃあ、どうすりゃいいんだというときに、そうか、自分もサンバを踊ればいいんだ、と思った。で、実際にやってみたらすぐに渡れちゃったんです。

    その瞬間にね、写真もこういうことなんじゃないか、と感じたんですよ。自分が力ずくでつくりあげるんじゃなくて、時代とか世の中のことをまず受け入れる。受け入れることによって、新しいものを獲得できるんじゃないかって。『オレレ・オララ』は、そうやってつくった写真集なんです。確かににあそこで篠山が変わったという人も、結構いますよね。


    ■「真実を切り取る」写真の使命はもう失効しつつある

    後藤:で、これが最新作ですね。「LOVE DOLL×SHINOYAMA KISHIN」展から、ラブドールを撮った1枚。昔はダッチワイフと呼ばれたりもしましたが、ありていに言えば、人形の性具です。いまはつくりも精度もすごく上がっていて、人形なんだけど人間以上に人間っぽい。それをモデルとして撮った作品です。

    篠山:人工知能も進化してきていますからね。そういうものを組み込むと、もしかしたら人間よりも良くなってしまうかもしれないよね。

    後藤:先生はいままで、写真集や雑誌のグラビアなどで裸をたくさん撮ってこられたわけですけど、ラブドールを人間のモデルと同じように撮るというのは、これもまたすごい挑戦ですね。

    篠山:いまの社会には、地球温暖化だとか、いろんな問題があるわけだけど、地球にとって何がいちばんいけないのかというと、人間が生きていることじゃないですか。人間が死んじゃえば、問題はなくなるわけでしょ? 

    後藤:まあ、極論すればそうですね。

    篠山:とすると、人工知能を持ったラブドールたちがそこに気付いたら、将来、人間を滅ぼすことだってあるかもしれない。そのとき、どうなってしまうのか…という近未来的なミステリーを小説や映画でやっている人はいるけれど、写真でやっている人はいない。それをやってみようかなという思いもあったりしますね。

    後藤:さっきも虚構×虚構がリアリティを生み出すというお話がありましたけど、この作品もやっぱり虚構×虚構です。芸術はだいたい死をテーマにしていますが、「LOVE DOLL×SHINOYAMA KISHIN」展の作品の数々は、死すら虚構化していると感じます。

    現代は現実がうそ、つまりは虚構にあふれていたりする。その中で真実を切り取るという使命が、かつては写真にあったわけだけど、僕はそれももう失効しつつあると思うんです。なのに、いまだに多くの写真はそこにしがみついていて…。先生の写真はそんないまの時代に対して、強いメッセージを投げかけているんじゃないかと思いますね。

    (了)


    【登壇者プロフィール】

    篠山紀信
    1940年、東京都生まれ。写真家。日本大学芸術学部写真学科在学中から頭角を現し、広告制作会社「ライトパブリシティ」で活躍、1968年からフリーに。三島由紀夫、山口百恵、宮沢りえ、ジョン・レノンとオノ・ヨーコなど、その時代を代表する人物を捉え、流行語にもなった「激写」、複数のカメラを結合し一斉にシャッターを切る「シノラマ」など新しい表現方法と新技術で時代を撮り続けている。2002年から、デジタルカメラで撮影した静止画と映像を組み合わせる「digi+KISHIN」を展開。ウェブサイト「shinoyama.net」でも、映像作品、静止画、DVD作品など多数発表している。2012年、熊本市現代美術館から始まった「篠山紀信展 写真力 THE PEOPLE by KISHIN」は全国を巡回中、90万人以上を動員。また2016年以降東京・原美術館で「篠山紀信展 快楽の館」、箱根彫刻の森美術館で「篠山紀信写真展 KISHIN meets ART」、アツコバルーarts drinks talkで「LOVE DOLL×SHINOYAMA KISHIN」を開催するなど、精力的に活動を続けている。

    後藤繁雄
    1954年、大阪生まれ。編集者、クリエーティブディレクター、京都造形芸術大学教授。広告制作、企画、商品開発、ウェブ開発、展覧会企画などジャンルを超えて幅広く活動し、“独特編集”をモットーに篠山紀信氏、坂本龍一氏、蜷川実花氏らのアートブック、写真集の編集などを数多く制作。東京・恵比寿の写真とグラフィック専門のギャラリー「G/P gallery」ディレクター。G/P galleryを通してPARIS PHOTO(パリ)やUnseen Photo Fair(アムステルダム)などの国際的なアートフェアにおいて日本の若手フォトアーティストのセールス&プロモーションや、篠山紀信氏や蜷川実花氏の大型美術館での展覧会プロデュースを次々と成功させる。また三越伊勢丹をはじめとする企業と組み、新しいアートとブランディングの実践を精力的に進めている。

    2017年7月28日(金)開催
    「篠山紀信の写真力」の抄録です。

    パノラマトーク05 「うそにうそを重ねるとリアルが生まれる」(前編)
    GINZA PLACEの「common ginza」を舞台に、さまざまなジャンルのつくる人たちを招いて「トークイベント+α」を発信していく「パノラマトーク」。第5回は『篠山紀信の「写真力!」』というテーマで、50年近くにわたって写真界の第一線を走り続けてきた写真家の篠山紀信さんによるトークが、数々の展覧会企画も手掛ける編集者、クリエーティブディレクターの後藤繁雄さんを聞き手にして行われました。

    日時:2017年7月28日(金)19時〜
    場所:GINZA PLACE内「common ginza」

    篠山紀信(写真家)
    後藤繁雄(編集者、クリエーティブディレクター)

    企画プロデュース:電通ライブ クリエーティブユニット 金原亜紀
    編集:松永光弘
    写真撮影:船本諒


    ■美術館でしかできないことをやった「写真力」展

    篠山:きょうのテーマは「写真力」ということですけどね、実は同じテーマを掲げた展覧会をこの5〜6年、いろんなところでやっているんですよ。私みたいに長いこと写真を撮っている人が、急に美術館で展覧会をやったりすると、総集編だろ、いや、回顧展か、あいつもそろそろ引退だな、なんて言われたりするでしょ? そういうこともあるから、ずっと美術館で展覧会をやろうなんて思わなかったのだけど、まんまと後藤さんにだまされてね(笑)。

    後藤:「篠山紀信展 写真力 THE PEOPLE by KISHIN」という展覧会なのですが、これがすごい人気なんですよ。2012年の熊本市現代美術館を皮切りに、次々とオファーがあって、いろんなところを巡回して、いまは28館目。すでに92万人が来場しています。しかも現在進行形です。

    篠山:どうせやるなら、美術館でしかできないことをやったら面白いんじゃないかと思ったんですよ。美術館って、だいたい大きな白い壁があるわけでしょ? とても非日常的な空間なのだけど、あそこに写真を額に入れて飾って、「皆さん、どうぞご鑑賞を」ってのはつまらない。だから、あのでっかい空間に負けないだけのでっかい写真を置いて、空間力に写真力をぶつけるとどうだろうって考えたんです。

    で、その空間に負けない写真って何かといったら、やっぱり人間の写真がいちばん強いんですね。それも、みんなが知っている人がいい。ちょっと有名くらいじゃ駄目。日本中の人が知っていないと。そういう人の写真だと、この人が活躍していたとき、自分はこういうことやってたよな、とか、昔を思い起こさせる装置にもなる。有名人には、時代の記号性があるからね。

    後藤:そうやって厳選した写真を、展覧会では5つのパートに分けて展示しているんですよね。ひとつは「GOD」。もう亡くなっている著名な人。2つ目が「STAR」。ご存命の著名な人。3つ目が「SPECTACLE」。現実離れした世界。ディズニーランドとか、歌舞伎なんかもそうですね。4つ目が「BODY」。肉体。ヌードもそうだし、アスリートの戦う身体もそうです。そして最後が「ACCIDENTS」。東日本大震災で被災された人たちの姿。この5つに分けて、回を追うごとに少しずつ作品を変えながら展示しているのですが、まあとにかく写真が巨大なんですよ。先生も現場で驚かれていましたよね?

    篠山:横9メートル、縦3メートルくらいの写真があるのだけど、それが壁に貼ってあるのを初めて見たときは、びっくりしましたね。何だい、これは、って(笑)。

    後藤:「誰が撮ったんだ? あ、俺か」とおっしゃってました(笑)。

    篠山:写真集でも両観音開きにして、横長の写真を載せることがあるのだけど、せいぜい幅1メートルくらいですよ。それが9メートルにもなるとね、現実がそこにあるみたいに思えてくる。観賞するというより、写真に取り囲まれちゃうんですよ。何だこれ、と空間の中に自分が漂ってしまう。不思議な体験ですよ。


    ■写真家は死というものが避けられない仕事

    後藤:きょうは、その「篠山紀信展 写真力 THE PEOPLE by KISHIN」に加えて、「LOVE DOLL×SHINOYAMA KISHIN」展や、最近刊行された写真集『KABUKI by KISHIN』などからいくつか写真をお見せしつつ、先生の写真力についてお話を伺いたいなと思っています。最初はこれ。ものすごく有名な写真ですね。ジョン・レノンとオノ・ヨーコがキスをしている。

    篠山:彼らがつくった『Double Fantasy』(※注)というレコードのジャケットになった写真です。私の写真の中では、多分、世界中の人たちにいちばん見られているものじゃないかな。でも、写真としてはどうってことないんですよ。

    ※『Double Fantasy』……1980年11月にリリースされたジョン・レノンとオノ・ヨーコのレコードアルバム。リリース翌月の12月8日にジョン・レノンが射殺され、遺作となった。

    後藤:いやいや、そんなことはないでしょう。

    篠山:だって、キスしているだけだもの(笑)。撮影のためにジョンとヨーコとニューヨークのセントラルパークに行ったら、ちょうどベンチがあったから座らせて、「ちょっと二人でキスしてよ」と言ったんです。で、5〜6枚かな。パチパチと撮ったうちの1枚。それだけですよ。

    でも、この撮影が終わって、レコードがリリースされた翌月に、ジョンが撃たれて亡くなってしまった。それでジョンとヨーコが一緒につくった最初で最後のレコードのジャケットになったから、みんなに知られているだけで。まあ、私もまさかジョンがあの後、すぐに死ぬとは思わなかったけどね。ただ、撮った後に亡くなる人は時々いるんです。写真家は死というものが避けられない仕事なんですよ。だって、撮った瞬間から写真は過去になるわけだから。

    後藤:亡くなったという意味では、この方もそうですね。三島由紀夫さん。「GOD」のうちの1枚。

    篠山:亡くなる1年前くらいの写真です。「聖セバスチャンの殉教」(※注)という有名な絵があるんですけど、それを自分がやるから撮ってくれと言われたんです。矢が刺さったように見える仕掛けなんかも、三島さんが自分で考えてきて、それを私が撮った。

    この写真は『血と薔薇』(※注)という雑誌の創刊号にも載ったのだけど、三島さんがすごく気に入ってくれてね。「篠山くん、この延長で写真集をつくらないか」とも言われたんですよ。「男の死」というテーマで、死にざまを自分がいろいろ演じるから、それを撮ってくれ、と。オートバイの事故で死ぬとか、死に装束で切腹して死ぬとか、いろんなことを三島さんが考えるわけです。そんなのを15シーンくらい撮ったかな。そうしたら、最後の撮影から1週間後くらいに、あの自衛隊での立てこもり事件を起こして、切腹して、ああいう死に方をされたんです。

    ※聖セバスチャン……中世以降、特に多くの信仰を集めるようになったキリスト教の聖人。ローマ帝国のディオクレティアヌス帝の迫害によって3世紀に殉教したといわれている。19世紀末ごろからは同性愛の守護聖人とされたりもしている。

    ※『血と薔薇』……「エロティシズムと残酷の綜合研究誌」を掲げて、1968年から4号にわたって刊行された雑誌。小説家でフランス文学者だった澁澤龍彦の責任編集。

    後藤:僕もすごく気になったので調べたことがあるのですが、実際に『男の死』という写真集が出るという広告が『血と薔薇』に出ていましたね。横尾忠則デザインとか、いろいろ書いてありました。まるで自分の死の予告ですね。

    篠山:三島さんが亡くなったときは、友人とか知人とかがこぞって、彼の死を予感していたとか何とか言っていたけど、私は全く何も感じなかったね。ただ、三島さんが亡くなったことで、その15枚の写真の意味は変わるわけです。さっきのジョンとヨーコの写真だってそう。あのままジョンが死なずにいまも曲をつくっていたら、あそこまで多くの人に知られる写真にはなっていませんよ。


    ■写真は見る人に自分の歴史を思い起こさせる

    後藤:次の写真。これは「STAR」のパートですね。山口百恵さん。山口百恵といえば、この写真、というくらい有名な写真です。

    篠山:昔あった『GORO』という雑誌に見開きで載った写真ですね。確か1977年の撮影かな。百恵さんは7年ほど活動しただけで80年には引退してしまったのだけど、70年代は百恵さんを抜きに語れないというくらいシンボリックな人でした。『GORO』でね、その百恵さんを山中湖で撮ろうという話になったんですよ。でも、移動だけで東京から片道1時間半くらいかかるし、撮影するとなると、下手すりゃ、一日仕事になる。所属事務所にしてみれば、ものすごく売れている山口百恵を一つの雑誌の撮影のために1日出すなんて、できやしない。

    後藤:それはそうですね。

    篠山:そこで考えたんです。その頃、私は『GORO』以外にも、『週刊少年マガジン』と『明星』の表紙と巻頭のグラビアを撮っていたんですね。全部の発行部数を合わせると、当時は500万部近くにもなった。そのくらいなら1日出してもいいだろう、と交渉したら、いいという話になったんです。それで3誌の表紙と巻頭のグラビアを、山中湖で1日で撮ることにしたんですよ。最初は湖畔でアイドルっぽいかわいい格好させて、『明星』のための写真を撮る。その次はプールで水着を着せて、『週刊少年マガジン』。で、夕方になってきたら、いよいよ『GORO』です。『GORO』は男性誌だから、色っぽくなくちゃいけない。

    後藤:確かに、この写真は色っぽいですねぇ。どうやって撮ったんですか?

    篠山:湖にたまたまボートがあったから、「百恵さん、ちょっとそこに横になってみて」と言って、夕方の光の中で撮ったのがこれなんです。いま後藤さんが言ったみたいに、みんなからよく聞かれるんですよ。これ、どうやって撮ったの、どうしたら、百恵さんはこういう表情をするんですか、って。これはね、単に百恵さんが疲れていたんです(笑)。写真家ってのは、そういうものなんですよ。被写体が疲れていたら、それを逆手に取って、自分のいいように作品にしてしまうんです。

    後藤:展覧会では、この写真を見て、「俺はこの頃、あの子と付き合ってたな」とか、「浪人中だったな」とか、みんな口々にあれこれ言っていましたね。

    篠山:そうでしょ? さっきも言ったけど、有名な人の写真は、見る人に自分の歴史を思い起こさせるんです。写真にはそういう力があるんですよ。


    ■虚構に虚構を掛け算して撮る

    後藤:話は変わりますけど、先生は東京ディズニーランドの公式カメラマンもされているんですよね。これはその東京ディズニーランドの写真です。「SPECTACLE」のパート。虚構の世界。

    篠山:東京ディズニーランドの写真集は、3冊出していますね。閉園後の誰もいなくなったところで、ミッキーやミニーたちが朝までどういう生活をしているのかって、興味があるじゃない? それを撮っているんです。

    普通はキャラクターたちの周りには人間がたくさんいて、ポーズを取ったりしている写真ばかりでしょ? でもみんな、キャラクターたちの秘密の時間を見たいわけですよ。だから、そういうの、撮れませんか、と東京ディズニーランドの人に聞いたら、最初は無理だと言われました。「キャラクターだけの世界では、彼らの姿は人間には見えない。もし彼らの姿を撮りたいなら、あなたもキャラクターにならなくては」って。おお、いいじゃない、やってやろうじゃないの、ということで、「シノラマン」というキャラクターになって、撮りに行ったんです。

    後藤:面白いですねぇ。

    篠山:東京ディズニーランドには秘密の扉があるんですよ。閉園後にそこを開けて入っていくと、ミッキーやら、ミニーやらがいる。噴水の前でみんなで遊んでいたりするし、この写真なんて、ミッキーの自宅ですよ(笑)。後藤さんは、ミッキーの中には人間が入ってるとか、思っているんでしょ? そういう人には、こういう写真は絶対に撮れませんね(笑)。

    後藤:いや、確かに…(笑)。しかし、虚構の写真を撮るときに、先生はそこにさらに虚構を掛け算して撮るわけですね。芸能人なんかもある種の虚構の存在ですけど、それをリアルに撮るんじゃなくて、さらに虚構を重ねて撮る。そうやって写真力を増幅させていますよね。

    篠山:そうなの、そうなの。写真ってさ、真を写すと書くけど、真実なんて撮れませんよ。写っているのは、全部うそなんです。だけど、うそにうそを掛けると、まことになる。うそにうそをついたときに、あるリアルが生まれる。そこが写真の面白いところなんです。

    後藤:多くの写真家は、写真はリアルを切り取るものだと位置づけて撮るのだけど、先生は逆に自分さえもフィクショナルな存在になってその世界に入っていくわけでしょう? そこがすごいなと思うんですよ。そんな人、まずいませんよね。

    篠山:女優を撮るにしても、その人が朝起きて歯を磨いている写真なんて見たくないんですよ、私は。それがその女優の真実の姿だと言う人もいるけど、私はそうじゃないと思う。女優ってのは、お化粧して、ヘアメークして、すごくきれいに着飾って、うその姿で私の前に現れて、私がまた写真といううそをつく。そうやって、うその上にうそを重ねることで、逆にその女優のリアルな真実が見えてくるんですよ。

    ※後編につづく


    【登壇者プロフィール】

    篠山紀信
    1940年、東京都生まれ。写真家。日本大学芸術学部写真学科在学中から頭角を現し、広告制作会社「ライトパブリシティ」で活躍、1968年からフリーに。三島由紀夫、山口百恵、宮沢りえ、ジョン・レノンとオノ・ヨーコなど、その時代を代表する人物を捉え、流行語にもなった「激写」、複数のカメラを結合し一斉にシャッターを切る「シノラマ」など新しい表現方法と新技術で時代を撮り続けている。2002年から、デジタルカメラで撮影した静止画と映像を組み合わせる「digi+KISHIN」を展開。ウェブサイト「shinoyama.net」でも、映像作品、静止画、DVD作品など多数発表している。2012年、熊本市現代美術館から始まった「篠山紀信展 写真力 THE PEOPLE by KISHIN」は全国を巡回中、90万人以上を動員。また2016年以降、東京・原美術館で「篠山紀信展 快楽の館」、箱根彫刻の森美術館で「篠山紀信写真展 KISHIN meets ART」、アツコバルー arts drinks talkで「LOVE DOLL×SHINOYAMA KISHIN」を開催するなど、精力的に活動を続けている。

    後藤繁雄
    1954年、大阪生まれ。編集者、クリエーティブディレクター、京都造形芸術大学教授。広告制作、企画、商品開発、ウェブ開発、展覧会企画などジャンルを超えて幅広く活動し、“独特編集”をモットーに篠山紀信氏、坂本龍一氏、蜷川実花氏らのアートブック、写真集の編集などを数多く制作。東京・恵比寿の写真とグラフィック専門のギャラリー「G/P gallery」ディレクター。G/P galleryを通してPARIS PHOTO(パリ)やUnseen Photo Fair(アムステルダム)などの国際的なアートフェアにおいて日本の若手フォトアーティストのセールス&プロモーションや、篠山紀信氏や蜷川実花氏の大型美術館での展覧会プロデュースを次々と成功させる。また三越伊勢丹をはじめとする企業と組み、新しいアートとブランディングの実践を精力的に進めている。
    • 山崎さん

      山崎さん

    • 辻さん

      辻さん

    2017年6月28日(水)開催
    「地域にいま必要なのは『弱さの強さ』」の抄録です。

    パノラマトーク04 「地域にいま必要なのは『弱さの強さ』」(後編)
    GINZA PLACEの「common ginza」を舞台に、さまざまなジャンルのつくる人たちを招いて「トークイベント+α」を発信していく「パノラマトーク」。第4回は「地域の『唯一無二』どうやってつくるの?」というテーマで、地域・街づくりの第一人者として知られるコミュニティデザイナーの山崎亮さんと、「ゆっくり小学校」をはじめ、スローをテーマとした提案・発信に取り組んでおられる文化人類学者の辻信一さんによるトークが行われました。

    日時:2017年6月28日(水)19時〜
    場所:GINZA PLACE内「common ginza」

    山崎亮(コミュニティデザイナー)
    辻信一(文化人類学者)

    企画プロデュース:電通ライブ クリエーティブユニット 金原亜紀
    編集:松永光弘
    写真撮影:船本諒


    ■地域で“落ちこぼれる”人たち

    辻:いまの時代は、“自由”になった経済が、逆に社会を呑み込んでしまっていますよね。本当に“経済さまさま”の世の中です。人の生き方ですら、経済学者にお伺いを立てなくてはいけなくなっている(笑)。

    でも、そういう考え方では、どうにも折り合いのつかないことが出てくるわけです。その一つが弱い人たちの存在ですね。障がいのある人たちもそうだし、他にもいろんな弱さがあります。赤ちゃんも、年を取ることもそうですよ。病気だってそう。僕らは一生を通じて、弱さと付き合いながら生きているんです。だからこそ、人間には家族が必要だし、コミュニティが必要なんですよ。僕は「弱さの強さ」と呼んだりもしているのですが、弱さというでこぼこと何とか折り合いをつけながら生きる仕組みを、人間は進化とともに身に付けてきたんだと思うんです。

    逆に言えば、弱さを得たことが、人間が人間へと進化する決定的なポイントになったのではないか、とも考えられる。コミュニティをつくり直していくときには、やっぱりこういうところに戻って考えなくてはいけないと思うんです。そこを踏まえずに、都会で学んだ「勝ち負けがすべて」という価値観を、家庭やコミュニティに持ち込んだら大変なことになるでしょ?

    山崎:僕らもそこは気にしていますね。都市部のプロジェクトに関わるときは特にそうで、ワークショップで「10万時間」という数字を見せて注意を促しています。ふつうの人は、だいたい20歳くらいから働きはじめますよね。1日8時間、週に5日間で、それを65歳まで続けると、おおよそ10万時間になるんです。そこで重視されているのは、「素早く」「効率的」「正確」「効果的」「経済的」「緻密」といった価値観。それができない人は、いまの社会だと落ちこぼれのように言われたりもします。

    でも、人生は65歳で終わるわけじゃない。その後も続いて、90歳くらいまで生きてしまうような時代です。その間は1日約16時間を家庭や地域で過ごすことになる。しかも週5日ではなく、週7日。その時間の積み重ねがどのくらいになるかというと、これもだいたい10万時間なんです。つまり、20歳から65歳まで働いてきたのと同じ時間を、老後にまだ持っているわけです。

    ただ、そこで求められる価値観が、仕事のときとはちょっと違うんですね。「失敗が多い」とか、「そこそこでいい」とか、「煩わしい」とか、「試行錯誤」とか、そういったことが重要になる。そういう価値観で動くから、つながりもできるし、信頼関係も築かれるし、コミュニティのなかでの役割も生まれる。健康だって手に入るわけです。
      
    辻:仕事のときは、「強さの強さ」が求められるけれど、65歳からは、「弱さの強さ」が求められるということかな?

    山崎:まさにそうです。だから、地域に「強さの強さ」を持ち込まれると困るんです。ところが、ワークショップをやっていると、プリプリ怒っているおじさんがいたりするんですよ。「9時から始めると言ったじゃないか。もう5分も過ぎてるぞ」とか、「街づくりは何でこんなに進み方が遅いんだ。もっと効率的にやるべきだ」とか。そういう人にかぎって、ワークショップが終わったら、「○○株式会社 元部長」なんて書かれた不思議な名刺を出してきたりするのですが…。

    誰かがリーダーになって、強い指導力を発揮して…みたいな進め方が理想だと思っている人も多いのですが、それだと「じゃあ、あの人に任せておこう」と、街づくりが一部の人のものになりがちだし、そもそもその人が倒れたりしたら、動きが止まってしまいます。だから、そんなやり方をしてほしくないんですよ。むしろ、「素早く」「効率的」「正確」「効果的」「経済的」「緻密」みたいな価値観を持ち込まれると、地域ではそっちが落ちこぼれだと言わざるをえない。もっとヨロヨロと進んでほしいんです。あちこちぶつかりながら結束力を高めて、みんなに役割が与えられて、うまくいったら全員で喜ぶ、という構図が欲しい。自分に任せてもらえれば効率的にできます、みたいな考え方は、地域では望ましくないんです。

    辻:さっきの話じゃないけれど、もっとゴリラ的であったほうがいいということですね。

    山崎:だと思います。だから、10万時間の話をするときは、僕らは「65歳以降の10万時間をどう使うか、考えてください」と投げかけます。ただ、20歳から65歳までの毎日にも、仕事と睡眠以外の時間が8時間ありますから、その積み重ねで実はまだ別に10万時間持っているんです。そこの時間を生かして地域に出てきて、地域の論理というか、ゴリラ的なものを身に付けていったほうがいい。まあ、いまの世の中だと会社ではサル的に戦うしかないのかもしれませんが、それが全てになると、定年退職して地域に出たときに落ちこぼれになるわけですから。


    ■大切なのは、付箋と模造紙を使う“前”

    辻:競争原理だ、効率だという都会の考え方の枠組み、つまりはマインドセットを変える必要があるわけですね。

    山崎:そう、まさにマインドセットです。そこのところについては、辻さんはよくアインシュタインの言葉を引用されていますよね。

    辻:「ある問題を引き起こしたのと同じマインドセットで、その問題を解決することはできない」でしょう? 例えば、3.11の大震災で、ぼくたちは福島の原発事故という巨大な問題を抱え込んだわけです。あるいは、巨大な問題を抱えていたことに気付いたと言ってもいいかもしれない。じゃあ、その問題を解決するにはどうしたらいいんかと言えば、同じマインドセットでそれを解決することはできないんです。なぜなら、そもそもそのマインドセットが問題を引き起こしているわけだから。でも、原発の問題も含めて、ほとんどの場合、僕らはマインドセットそのものをそのままにしておいて、小手先の工夫をやり続けてしまうんですよ。

    山崎:福島くらいの問題になると、日本全体を巻き込んだ大きな話ですから、確かにマインドセットを変えづらいところはありますね。でも、地域レベルだと、もう少しスムーズに変えられる可能性があるんじゃないかと思うんです。

    例えば、集落から若い人たちが出て行ってしまうという問題を考えるにしても、「やっぱりお金がもうかったほうがいいし、便利なほうがいい」というマインドセットで議論していくと、「じゃあ、うちの街にも有名なカフェチェーンに来てもらおう」とか、「ハンバーガーショップを呼ぼう」とかいう話になりますよね。街が便利になれば、若い人が残ってくれるんじゃないかという発想しか出てこない。

    でも、実際はその方向に進めば進むほど、「やっぱり東京のほうがいいな」と若い人たちはますます思うわけですよ。マインドセットを変えて、自分たちにとっての幸せとは何なのかを、もう一度問い直すところから始めないと、本当に価値のあるアイデアは出てこないんです。ワークショップを地域でやるときにも、時間をかけるのはそこのところですね。基本的な考え方の枠組みをまず変えないと、7.5センチ角の付箋に書かれるアイデアがどれも東京にあるようなものにしかなりませんから。要するに、大切なのは付箋と模造紙を使う“前”のところなんです。

    ただ、考え方が変わったなと思っていても、1カ月あいだを空けて再び訪れると、また元に戻っていたりするんですよ。それを何度も何度も変えて、ちょうどいいあんばいになってきたかな、というところで意見を出してもらうと、その地域ならではのアイデアになることが多いですね。


    ■地域は「メチャクチャもうかる」

    辻:確かに世界の仕組みというのは、とても複雑なんだけど、うまくつくられていて、僕らはいつのまにかいろんなことを信じ込まされていますからね。外から地域に行くと、ふつう、まず起こるのは「金になるかどうか」という反応でしょ?

    山崎:マインドセットが変わらないうちは、地域でもいろいろな反応が出ます。「こんな考え方では食べていけない!」みたいに。大学の教員をしていると、公的な委員会みたいなところに呼ばれることもあるのですが、そんな席でも、「山崎さんのやっておられる街づくりは、大変意義があるのは分かるけれど、もうかりませんよね」と同情のような声を掛けられることもよくあります。

    最近はそこで、「メチャクチャもうかりますよ」と答えることにしているのですが、ものすごくびっくりされますね(笑)。でも、うそじゃないんです。お金のもうけももちろんありますが、地域に行くことで友達や先輩ができたりと、いろんな“もうけ”がありますから。

    辻:“もうけ”という言葉の意味を拡張しちゃうんですね。

    山崎:ええ。例えば、僕はこれまで約250の地域に関わっていて、それぞれ100人規模のワークショップをやっていますから、単純に考えると2万5千人くらいの人と交流してきています。そのなかには「食えなくなったら、うちに来いよ」なんて言ってくれる人も少なからずいて、それだけでも心穏やかに暮らせる。これも一種のもうけですよね。

    それだけじゃない。関わったなかには、うちの事務所に季節ごとにいろんなモノを送ってくださる人もいます。新米がとれたからと、80キロの米が届いたり…。それももちろんもうけです。他にも地域に行くと、その土地の歴史をはじめ、いろいろなことを教えてもらえます。僕の場合はそれが本を書くときのヒントになったりもしている。これももうけ。あとは何といっても感謝の言葉ですね。地域の人たちから「来てくれて、ありがとう。助かったよ」なんて言ってもらえると、達成感も、満足感も上がる。素晴らしいもうけですよ。こういうものを含めて考えると、僕らの仕事は本当にぼろもうけなんです。


    ■本当の豊かさは時間にある

    辻:山崎さんの話を聞いていると、これまでは、都会にいたほうが世界とつながることができるという感じが強かったのに、いまはまったく逆になってきているということがよくわかりますよ。実際に僕も世界のいろんなところを訪れて肌で感じているのですが、さまざまな新しい価値観があちこちの地域で動きはじめています。何かを奪いとって得をしたとか、金がもうかったとかという側面がないとは言わないけれど、それだけではない価値観を持った人たちが、けっこう豊かな人生をそれぞれの場所で生きはじめているんです。

    きょうのテーマでもある「地域の唯一無二」ということで言うと、昔は「一村一品」みたいに、自分のところにしかないモノをつくったり、売ったりしようと考えたじゃないですか。でも、本当は、そういうことじゃないと思うんです。ある意味ではどこにでもあるのだけど、そのどこにでもあるものをこんなふうに活かして生きているというところに、本当の唯一無二がある。昔、沖縄の人たちが言っていたみたいに、自分たちのいるところが世界の中心だという感覚のことなんじゃないかなと思うんです。中心がどこか他の遠いところにあるということじゃなくて。

    山崎:先日、秋田県の大潟村に行ったときに、僕もそれに近いことを感じました。あそこは住民がみんな農業をやっているから、時間の感覚がそろっているんです。だから、農作業に支障がなければ、平日の昼間でも、思い立ったときにみんなで示し合わせて遊びに行ったりできる。水やりは午後2時からだけど、30分遅れたせいで稲が怒っていた、みたいなことはないから(笑)、ある程度、融通も利きますし…。彼らはそういう時間の捉え方や使い方を「大潟時間」と呼んでいたのですが、それはやっぱり唯一無二の価値ですよね。「きょうは天気がいいから、ランチを食べたら山に行くことにしよう」なんて、東京じゃ絶対にできないわけですから。ああいう時間の使い方は本当にリッチですよ。

    辻:僕は奥会津に行ったときにすごく感動したのは、冬には冬の豊かな時間があることです。雪国の冬って、「何もない」と外の人は思いがちだけど、実は冬のほうがいろんなお祭りや儀礼があったりする。小正月には、道具を全部出して「道具の年越し」をしたり、地域の付き合いも濃密だし、時間の過ごし方が丁寧でリッチなんですよ。それに比べると、都会人はずいぶん時間というものに疎くなってしまいました。『スロー・イズ・ビューティフル』という本は、そこに気付いてもらおうと思って書いたのだけど、15年経ってもあまり世の中が変わったとは思えません。むしろ悪くなっているかもしれない。

    本当の豊かさは、やっぱり時間にあると思うんですよ。人生のなかで真に自分のものだと言えるのって時間だけでしょう? その時間をどうやって過ごすのか。僕らが大切にしなくちゃいけないのは、そこですね。

    (了)


    【登壇者プロフィール】

    山崎亮
    studio-L代表。東北芸術工科大学教授(コミュニティデザイン学科長)。慶應義塾大学特別招聘教授。1973年、愛知県生まれ。大阪府立大学大学院および東京大学大学院修了。博士(工学)。建築・ランドスケープ設計事務所を経て、2005年にstudio-Lを設立。地域の課題を地域に住む人たちが解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりのワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、市民参加型のパークマネジメントなどに関するプロジェクトが多い。著書に『ふるさとを元気にする仕事(ちくまプリマー新書)』、『コミュニティデザインの源流 イギリス篇』(太田出版)、『縮充する日本 「参加」が創り出す人口減少社会の希望』(PHP新書)、『地域ごはん日記』(パイ インターナショナル)などがある。

    辻信一
    文化人類学者、明治学院大学国際学部教授。1999年にNGO「ナマケモノ倶楽部」を設立。以来、「スローライフ」、「100万人のキャンドルナイト」、「GNH(国民総幸福)」などの環境=文化運動を提唱。2014年、「ゆっくり小学校」を開校。著書に『スロー・イズ・ビューティフル 遅さとしての文化』(平凡社ライブラリー)、『弱虫でいいんだよ』(ちくまプリマー新書)など多数。映像作品にDVDシリーズ『アジアの叡智』(現在6巻)がある。本年11月11~12日には「『しあわせの経済』世界フォーラム2017~Local is Beautiful!」を都内で開催する。
    http://economics-of-happiness-japan.org/
    • (左)辻さん、(右)山崎さん

      (左)辻さん、(右)山崎さん

    2017年6月28日(水)開催
    「地域にいま必要なのは『弱さの強さ』」の抄録です。

    パノラマトーク04 「地域にいま必要なのは『弱さの強さ』」(前編)
    GINZA PLACEの「common ginza」を舞台に、さまざまなジャンルのつくる人たちを招いて「トークイベント+α」を発信していく「パノラマトーク」。第4回は「地域の『唯一無二』どうやってつくるの?」というテーマで、地域・街づくりの第一人者として知られるコミュニティデザイナーの山崎亮さんと、「ゆっくり小学校」をはじめ、スローをテーマとした提案・発信に取り組んでおられる文化人類学者の辻信一さんによるトークが行われました。

    日時:2017年6月28日(水)19時〜
    場所:GINZA PLACE内「common ginza」

    山崎亮(コミュニティデザイナー)
    辻信一(文化人類学者)

    企画プロデュース:電通ライブ クリエーティブユニット 金原亜紀
    編集:松永光弘
    写真撮影:船本諒


    ■そのままにしておけば「唯一無二」になる?

    山崎:誰かにいい本はないかと聞かれると、必ず『スロー・イズ・ビューティフル』を薦めているくらい、僕は辻さんからいろんなことを学ばせていただいていまして…。その辻さんときょうは初めてお会いして、お話を伺えるというので、実はちょっと興奮しています。

    辻:僕も山崎さんにはずっとお会いしたかったんですよ。ご著書も、対談記事も楽しく読ませていただいてます。山崎さんが言われていることは、いまの僕の考えの筋道とすごく合致しているんですね。というのも、いまのお話のとおり、僕はずっと前から「スロー・イズ・ビューティフル」と言ってきたわけだけど、最近は、そこからさらに「ローカル・イズ・ビューティフル」へと展開しているんです。この11月には、「『しあわせの経済』世界フォーラム2017~Local is Beautiful!」(※)という催しを計画していて、現在、世界中に起こっている「幸せの経済」という流れを日本にもってきたいと思っているのですが、その中心にあるのが「ローカル」、もしくは「ローカル化」「ローカリゼーション」という考え方です。そのあたりの話を誰に聞きたいかというと、やっぱり山崎さんなんですよ。

    ※「『しあわせの経済』世界フォーラム2017~Local is Beautiful!」http://economics-of-happiness-japan.org/

    山崎:もう、そう言っていただいただけで、きょうはぐっすり眠れそうです(笑)。

    辻:僕はね、グローバリゼーションは、すでに終わりはじめていると思っています。その兆候は世界中に出てきている。それは、いい意味でも、悪い意味でも大変化で、これから大変な時代になるんじゃないかと思うのだけど、ではその先にあるものを問おうとすると、やっぱりローカリゼーションしかない。つまり、地域やコミュニティといった本質的なものをもう一度、考え直さなくちゃいけない。山崎さんが現場でやってこられたことの蓄積は、これからの時代、みんなにとっての重要な財産になるんじゃないかと思いますね。

    山崎:いや、僕のほうこそ、辻さんにはいろいろ教えていただきたいのですが…、きょうは「地域の唯一無二」をテーマに掲げているわけですけど、実はそれに関して、少し気になっていることがあるんです。

    僕はこれまで250くらいの地域に関わって、その土地土地の人びとと交流してきました。そこにはいろんなお国自慢もあるし、料理一つとっても素晴らしいものがたくさんある。人びとが集まって暮らすなかで、いや応なく生み出した固有の特徴があるわけです。そういうものを見ながら、唯一無二の文化って、我々のような外からやってきた者がつくるものじゃなくて、その地域で暮らす人たちがムズムズとつくり出してしまうもの、日々の生活を耕しているなかから生まれてくるものなんだろうなと、ずっと思っていたんです。

    でも、その一方で、ワークショップをやったりしながら、地域の人たちにいろいろ話を聞いていると、やっぱりすぐに「コンビニが欲しい」とか、「有名な外食チェーンのお店ができてほしい」とかいう意見が出てきたりします。きっと僕らが関わらないで、その地域をそのままにしていたら、人びとは自分たちでコンビニや外食チェーンを呼んでくると思う。要するに、誰かが恣意(しい)的に唯一無二をつくることはできないとはいえ、そのままにしておけば唯一無二になる、と手放しで言うこともできないんじゃないかなと思うんです。


    ■文化が荒廃したら、つくるしかない
     
    辻:デザインというものをどう捉えるかということですね。例えば、「ソーシャルエンジニアリング」という言葉があるじゃないですか。これを聞くと最初ギクッとする。社会はエンジニアリングのようなもので、人為的に動かしたり、つくったりできるという考えがそこに感じられますから、僕なんかはすぐ身構えてしまうんだけど、山崎さんの「コミュニティデザイン」も下手をするとそれに近い考えだと見られそうですね。実際、コミュニティデザインという言葉を使われていて、何か言われたりするでしょ?

    山崎:それは確かにあります。でも、コミュニティデザインという言葉は、僕がつくったものではないんです。1960年代にアメリカでよく使われていた言葉なんですよ。当時は、地域の人たち、コミュニティを形成する人たちが集まって、自分たちの未来を自分たちで決めるという意味で使われていたようで…。

    辻:上から押しつけるような、傲慢(ごうまん)な態度の「デザイン」じゃないということですね?

    山崎:ええ。地域に図書館をつくろうというときに、みんなで話し合って、どういうものにするかを決めていく、というようなことです。もちろん、いま僕らがやっているのは、何かを建てたりすることを目的としたものじゃありませんが、地域の人たちが集まって、自分たちの未来を考えるという意味では近いところがあります。それで僕らの活動をコミュニティデザインと呼ぶことにしたんです。

    辻:わかります。実はそれと少し似た言葉で、好きなのがあるんですよ。「カルチャークリエイティブ」といって、文字どおり、文化を創るという意味なのだけど、20世紀の終わりごろに、やはりアメリカでそういう運動が高まったことがあったんです。そのときに言われていたのは、旧来の近代派と保守派のせめぎ合いの文脈の外側に、第三の潮流が出てきたということ。それまで主流だった近代的な価値観とはまったくちがう価値観や美意識をもっているので、まるで新しい文化を創造するようなムーブメントだとされて、カルチャークリエイティブと呼ばれた。

    文化を創造するなんて、そんな不遜な、と思われるかもしれないけど、でもそのくらい大きな意識と社会の変容が起こっているということなんです。それが最初は人口のほんの2、3パーセントという程度だったのが、1999年時点では30パーセントにもなった。もちろんアメリカだけの話ではなく、他の国々の調査でも同様の結果が出て、日本でも、25パーセントくらいはそういう人たちがいるという報告もありました。山崎さんはそのカルチャークリエイティブの代表的な存在じゃないかな。

    山崎:それは買いかぶり過ぎです(笑)。

    辻:文化を創造するというとちょっと傲慢(ごうまん)な感じがしますが、近代、特に戦後の資本主義は、急速に文化やその基盤であるコミュニティを荒廃させてきてしまった。でも、人間は文化なしには生きられない。だから、文化がある程度以上壊れたら、創っていくしかないんです。文化破壊は悲劇的なことですが、見方を変えれば、そのことを自覚して、新しい文化を創造していく、そしてそれを仕事にしていくなんてことができる時代に生まれ合わせた、とも言える。それは、ある意味、とてもエキサイティングですよね。


    ■「楽しさの自給率」を高めたい

    山崎:文化とは少し違う話かもしれませんが、「豊か」という言葉で、真の豊かさを伝えるのが難しくなってきたなとは感じますね。

    辻:というと?

    山崎:「ああ、我々も豊かになったもんだ」と言うときの「豊か」って、ほとんどの場合が、便利になったとか、高いビルが建ったとかいう意味で使われますよね。そうなってしまうと、真の豊かさを「豊か」という言葉で伝えるのは難しい。だから、「豊か」という言葉の意味を変えるのはもう無理なんじゃないか、とあるとき思ったんです。

    そこからですね、僕がより積極的に幸福論を考えようと思ったのは。GNH(Gross National Happiness=国民総幸福量)という指標を打ち出しているブータンのように、一人一人にとっての幸福を考えましょう、とワークショップでも話すようになりました。そうすれば、経済的なものも含めて、いろんな要素を交えることができますから。

    辻:何を生きがいと感じるか、喜びと感じるか、というところですね。

    山崎:そうなんです。ただ、いきなり幸福を語るのって、ちょっと難しいときもあって…。幸福のもう少し手前に、何か目安になるものがないかなと思ったんです。それで注目したのが、「楽しさ」でした。

    「コンビニとか、外食チェーンのお店とかがないと楽しめない」という考え方は、お金を払って誰かに楽しませてもらうことが前提になっています。だから自分だけでは楽しめない。でも、そこでもし自分自身で楽しさを生み出すことができれば、人生はいつも楽しいはずだし、幸福になれるんじゃないか。そう考えて、最近は地域のワークショップでも、「お金やモノによらない楽しさを地域にどう生み出していくか」という問いを立てることが多くなりましたね。僕はこれを「楽しさの自給率」と呼んでいるのですが、本当は食糧自給率やエネルギー自給率と同じくらい、高めたほうがいいものだと思うんですよ。

    辻:都会にしか未来がないと、僕らはいつのまにか思い込んでいますからね。でも、それって実は、本来の人間の姿からはすごくかけ離れた発想、というか、真逆ですね。

    山崎:大切なのは、能動的に楽しむことだと思うんです。よく「能動的↔受動的」「集団↔個人」という2つの軸を出して説明するのですが、受動的な楽しみは、いわゆる消費の楽しさです。個人なら、パチンコやテレビ、買い物などがそうだし、集団なら、居酒屋やカラオケ、ボウリングなどですが、どちらも楽しさの賞味期限は基本的に短い。だって、資本主義的には、お金をどんどん払ってもらわなければいけませんから、楽しさが長続きすると困るわけです。

    その一方で、能動的な楽しみは、個人なら趣味の活動や読書などがそうですが、楽しさの賞味期限が長いんです。しかもそれを集団でやることができれば、もっと楽しい。一人でおいしいものを食べて「うまっ!」とつぶやくのもいいけれど、「うまいよね、これ!」と仲間で言い合うほうが、楽しさは倍増しますから。それに友達もできるし、知識も得られるし、自分の役割もできるし、感謝されたりもする。だから、僕らは、集団で能動的に楽しむことを目指しているんです。


    ■なぜゴリラは“コミュニティ”を築けるのか

    辻:その話を伺って、僕はゴリラのことを思い出しましたよ。

    山崎:えっ、いまの話からゴリラですか(笑)。

    辻:霊長類研究者で、いま京都大学総長の山極壽一さんのことを僕は尊敬しているのですが、彼の研究によると、ゴリラにはサルとは明らかに違うところがあるそうなんです。例えば、ニホンザルなんかは年がら年中けんかをして、どっちが勝った、負けたとやっているわけでしょう?

    山崎:いわゆるサル山のボスを決める争いですね。

    辻:そうそう。で、強いやつは威張っているし、弱いやつはいつもペコペコして…。首を縮めて、歯茎を見せてニターッと笑う「グリメイス」という仕草があるのですが、それがサルの服従の態度なんです。でも、ゴリラにはそういうものがない。自分のほうが弱いとか、強いとかという表現がない。だから「勝ち負け」の概念がない、と言うんですよ。

    山極さんは、そこにゴリラへの進化の重要なポイントの一つを見ているのだけど、じゃあ人間はどうなんだというと、サル的なところも多い。でもその一方で、人間の社会にはゴリラと同じく、「勝ち負け」と無関係の領域もある。まず、家族です。お父さんが幼い子どもを真剣にやっつけて、「ざまあみろ」とはやらない。ふつうは、ね(笑)。

    山崎:お父さんに向かって、四六時中、歯茎を出して笑う子どももいませんね(笑)。

    辻:ふつうは、ね(笑)。加えて、大事なのは「分配」です。いわゆる「分かちあい」ですね。サルからゴリラへと進化するなかで、そこがよりしっかりしてきている。そしてもう一つは「遊び」。ゴリラも人間も、大人と子どもがじゃれ合って遊んだりするのだけど、間違って相手を傷つけたり、殺してしまうことはまずない。ふつうは、ね(笑)。ケンカと、ケンカごっこの区別がちゃんとあるんです。

    つまり、「勝ち負けの欠如」「分かちあい」「遊び」といったものが、ゴリラや人間における「家族」の基礎だということです。人間は、さらに家族と家族の間へと拡げて、家族同士がつながる「コミュニティ」を築くことができた。

    山崎:ああ、それは分かる気がします。僕らの言葉で言えば、「対等」「シェア」「遊び」ですが、意識してはいなかったものの、言われてみると、その3つをいつも実現しようとしています。

    辻:でも現代の社会をみると、サルみたいに、ケンカや競争ばっかりして、コミュニティを壊し、分かちあいどころか、勝った負けたの世界をつくってきてしまった。これを山極さんは「サル化する人間社会」と呼んでいます。


    ■「社会を離れた経済」はあり得ない

    辻:本来の人間性に根ざすコミュニティは、同時に経済の単位でもあるんです。現在の主流の経済学は、そこを完全に無視していて、すべて競争原理にもとづく市場経済学になっていますけどね。

    もっと言えば、本来、経済は社会の一部なんですよ。カール・ポランニーという経済史家の言い方では、「経済は社会のなかに埋め込まれている」ものなんです。それは、小さな村を例にして考えると分かりやすい。自分が人よりたくさん取ったら、同じ村の誰かが困る。誰かが得をすると、誰かが損をする。あるいは、ある年にちょっと欲張ると、次の年に困ったりする。そうやって経済は、自然環境や社会という文脈のなかにちゃんと「埋め込まれている」。自然環境や社会を離れた経済はありえないんですよ。

    ところが、産業革命以降、この200〜300年の間に、経済はせっせと社会から自らを解き放ってきた。少なくとも、自由な存在になれるという幻想を持ってしまったんですね。そして、実際に「経済が社会から自由になる」という思想を作ってしまった。これが自由主義です。さまざまな制限から解き放たれることを「離床」とも言いますが、社会からの離床と同時に、自然界からも離床して…。まるで経済は自然界の一部ではないかのように振る舞いはじめてしまった。その結末が、すさまじい環境破壊でしょう? 自然界からどれだけ奪い、環境をどれだけ汚しても、経済は素知らぬ顔をしていられる。というのは、都合が悪くなったら経済学では「外部」という言葉を使えばいいんですから。「環境問題」について問われたら、「それは外部の問題だ」と答える(笑)。それが経済的自由主義とか、新自由主義とかで言う「自由」です。本当に困ったものです。

    山崎:それは身勝手な話ですね(笑)。



    【登壇者プロフィール】

    山崎亮
    studio-L代表。東北芸術工科大学教授(コミュニティデザイン学科長)。慶應義塾大学特別招聘教授。1973年、愛知県生まれ。大阪府立大学大学院および東京大学大学院修了。博士(工学)。建築・ランドスケープ設計事務所を経て、2005年にstudio-Lを設立。地域の課題を地域に住む人たちが解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりのワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、市民参加型のパークマネジメントなどに関するプロジェクトが多い。著書に『ふるさとを元気にする仕事(ちくまプリマー新書)』、『コミュニティデザインの源流 イギリス篇』(太田出版)、『縮充する日本 「参加」が創り出す人口減少社会の希望』(PHP新書)、『地域ごはん日記』(パイ インターナショナル)などがある。

    辻信一
    文化人類学者、明治学院大学国際学部教授。1999年にNGO「ナマケモノ倶楽部」を設立。以来、「スローライフ」、「100万人のキャンドルナイト」、「GNH(国民総幸福)」などの環境=文化運動を提唱。2014年、「ゆっくり小学校」を開校。著書に『スロー・イズ・ビューティフル 遅さとしての文化』(平凡社ライブラリー)、『弱虫でいいんだよ』(ちくまプリマー新書)など多数。映像作品にDVDシリーズ『アジアの叡智』(現在6巻)がある。本年11月11~12日には「『しあわせの経済』世界フォーラム2017~Local is Beautiful!」を都内で開催する。
    http://economics-of-happiness-japan.org/
    • MIKIKOさん

      MIKIKOさん

    • 菅野さん

      菅野さん

    2017年6月9日(金)開催
    「『演出振付家』という仕事、MIKIKOの演出術とは?」の抄録です。

    パノラマトーク03 「気持ちをハモらせることに時間をかける」(後編)
    GINZA PLACEの「common ginza」を舞台に、さまざまなジャンルのつくる人たちを招いて「トークイベント+α」を発信していく「パノラマトーク」。第3回は「『演出振付家』という仕事、MIKIKOの演出術とは?」というテーマで、「恋ダンス」からリオデジャネイロ2016オリンピック・パラリンピック「フラッグハンドオーバーセレモニー」まで、国内外で幅広い活躍を続ける演出振付家のMIKIKOさんと、MIKIKOさんと一緒に数多くのプロジェクトを手がけ、最先端のテクノロジーで広告やアートシーンに新たな影響を与え続けているクリエーティブディレクターの菅野薫さんによるトークが行われました。

    日時:2017年6月9日(金)19時〜
    場所:GINZA PLACE内「common ginza」

    MIKIKO(演出振付家)
    菅野薫(クリエーティブディレクター)

    企画プロデュース:電通ライブ クリエーティブユニット 金原亜紀
    編集:松永光弘
    写真撮影:船本諒

    ■応援してくれる人をがっかりさせない

    菅野:実はもうひとつ、MIKIKO先生とお仕事をさせていただいているなかで、すごいなと思っていることがあるんです。先生って、伝えたいことや実現したいことがいつも明快ですよね?

    MIKIKO:それはライブに関してですか?

    菅野:いま僕が言おうとしているのはそうです。例えば、2013年にカンヌライオンズ国際クリエイティビティ・フェスティバル※1で、Perfumeのパフォーマンスをやりませんか、とお誘いしましたよね? あのときもMIKIKO先生は、日本にはたくさんのファンがいて、見たくても全員がライブを見られないような状況になってきているなかで、あえて海外に行くということを考えると、現地に足を運べないファンのみなさんにも楽しんで関わってもらえる仕組みが欲しい、と最初におっしゃっていました。

    その2年後にテキサスで開催されたSXSW※2でPerfumeのライブをやったときも、やっぱり同じようなことをおっしゃられて…。

    ※1「カンヌライオンズ国際クリエイティビティ・フェスティバル」……フランスのカンヌで毎年開催される世界最大級の広告イベントおよび広告賞。

    ※2「SXSW」……アメリカのテキサス州オースティンで毎年開催される、音楽、映画、インタラクティブ表現をテーマにした大規模イベント。「サウス・バイ・サウスウエスト」と読む。

    MIKIKO:確か、SXSWのほうは、ライブハウスがものすごく狭かったんですよね。だったら、その場で見られる人が少ないのだから生中継しよう、というお話になって…。

    菅野:そうです、そうです。で、そこからさらに、どうせ中継するなら、現地にいる人とは異なる“中継でしか見られないもの”を見てもらおうという話になり、最終的には、真鍋大度くんとRhizomatiksチームの素晴らしいアイディアと技術で、ライブ中継とバーチャル映像を行ったり来たりするような表現になったんです。

    結果的にいいものになったと思うのですが、でも、それは出発点に、ライブ中継でしか見られない人にも、素敵な体験を用意してあげたい、だから、ライブ中継ももっと面白くしたい、という先生の思いがあったからだと思うんですよ。

    MIKIKO:Perfumeに限ったことではないのですが、いちばん長く応援してくれているファンの方が、がっかりすることはしたくないんです。自分が応援している子たちが大きくなっていくのはうれしいけれど、寂しくもありますよね。日本から世界に出て行くのも、うれしいけれど寂しい。そういう気持ちを大切にしつつ、きちんと、応援したいと思えるものをやりに行っている、という証しを見せないといけないなとは、ずっと思っていますね。

    菅野:その気持ちはよく分かります。そうやってみんなから応援してもらえるから、Perfumeの3人もたくさんの勇気をもらって、堂々世界の大きな舞台に立てるということもあると思います。

    MIKIKO:海外でライブをやれば、それだけでハクが付くようなところがあります。お客さんがたくさん入っていようがいまいがハクは付きます。でも、だから何でもいいというような薄っぺらなことはしたくないんです。必ず日本の人にも届くもの、応援したいと思えるものをやりたい。SXSWもそうですし、確か、カンヌのときもそういう話をしましたよね?

    菅野:そうでしたね。でも、それって、すごく難度が高いんですよ。Perfumeを海外に連れていくだけでも大変なのに(笑)。ただ、僕自身も、そういうお題をもらって、何がやれるのかなと考えているときがいちばん面白いですし、MIKIKO先生とPerfumeと一緒にやっているチームは、そういうときにさらにすごい能力を発揮しますよね(笑)。


    ■テクノロジーを消していく

    菅野:いろいろお手伝いさせてもらいましたけど、Perfumeはやっぱりすごいですよね。SXSWのあの狭いライブハウスでも、彼女たちは全力でやってくれるんですから。正直なところ、かなり厳しい環境ですから、「さすがに、できるのはここまでです」なんてことも言われるかなと思っていたのですが、実際には全力でフルサイズのライブをやってくれました。いつも以上に言葉が通じなくても、普段と同じようにファン向けのコーナーまでやっていましたし…(笑)。日本なら東京ドームを何日間もいっぱいにするような人たちなのに、ものすごく小さな会場でも一切手を抜かない。でも、その原点はやっぱり、先生の「中継で見ている人たちにも楽しんでもらいたい」みたいな気持ちだと思うんです。

    MIKIKO:カンヌのライブにしても、SXSWのライブにしてもそうですが、逆に私のほうはテクノロジーを使って、あそこまでのものができるとは思っていなかったですね。そのくらい達成感の感じられたお仕事だったと思っています。

    ただ、私の仕事は、そのテクノロジーを消していくことだったりもします。やっぱり「最後に残るのはPerfumeの3人」ということにしなくてはいけないので。

    菅野:それはそうですよね。テクノロジーの存在が勝つと、軽々しく最先端テクノロジーがすごいというだけの話になってしまう。そうならずに、テクノロジーという素晴らしい手段を使って、Perfumeの3人をどう輝かせるか。

    MIKIKO:そこはテクノロジーと私とのバトルでもあるんですけど(笑)、やっぱり、テクノロジーを使うときは、ちゃんとストーリーのある使い方にしなければいけないとは思いますね。

    菅野:そのぶん、逆にPerfumeにも強くあることが求められるわけで、演出としてはまさに戦いどころです。やっぱり、「Perfumeは素敵だったね」という印象が残るべきで、その裏側にテクノロジーがあった、という順の語られ方が正しい。MIKIKO先生とは、いつもそこのところを話し合っている気がします。

    でも、それもやっぱり、先に先生の思いがしっかりとあって、それをかたちにするから、うまくいくんだと思うんですよ。テクノロジーの使い方を考えるときも、その思いと伝えたいストーリーの部分がないと迷うんです。そうなると、何だかかっこいいだけ、みたいなことになってしまいがちで。僕は広告の人なので、主体が伝えるべきストーリーを見つけないかぎり、何もできない。いきなり表現手段から決まることはないので。逆に言えば、言葉も、デザインも、テクノロジーも、伝えるべきことが見つけられれば、必然的に適切に使えるようになると思うんです。


    ■仕事は「自分の問題」

    菅野:それにしても、MIKIKO先生は、たくさん仕事をされていますよね。びっくりするくらい。仕事を減らしたりはしないんですか?

    MIKIKO:減らしてきているほうだとは思います。でも、振りをつくる時間をスケジュールのなかに組み込んでいないので、必然的に夜中まで作業して、そのまま朝から出かけて…、みたいになるんです。

    菅野:スケジュールのなかに振りをつくる時間を入れないのは、何か理由でも?

    MIKIKO:そこは自己満足の世界なんです。別に事前に振りをつくっていかなくても、現場でいきなりつくることもできなくはないんですよ。もう慣れていますから。だけど、そういう姿勢が、自分では嫌なんです。しっかり準備しているほうが、自分で納得できるというか。だから、朝まで作業しているのも、そうしなければいけないわけじゃなくて、自分の問題なんです。

    菅野:すごすぎて、ぐうの音も出ませんが…。Perfumeとか、ELEVENPLAYとか、自分が心血を注いでいるプロジェクトがあって、さらにリオオリンピックとか、パラリンピックとかの大きな仕事があったりする。ふつうならそれだけでも大変なのに、他にもたくさん手掛けておられますよね。ゲームの振り付けもされていませんでしたっけ?

    MIKIKO:ああ、あれは姪っ子が好きなゲームなので、喜ぶかなと思って。それも自分の問題です(笑)。

    菅野:リオの現地でも何かされていましたよね? フラッグハンドオーバーセレモニーの制作打ち合わせが夜中に解散になって、翌日も朝からリハサールがあるというのに、「これから、ちょっと振り付けがあって…」って。

    MIKIKO:それは「恋ダンス」ですね。

    菅野:はい。「恋ダンス」でした。あれがヒットした影響で、「みんながまねしたくなるようなダンスをお願いします」という依頼が更に増えているとか…。

    MIKIKO:昔から「みんながまねできる、簡単なものをつくってください」という依頼はけっこうあったんです。「MIKIKOさんの振り付けは難しいから」というかっこ付きで(笑)。でも、恋ダンスがはやってからは、「ちょっと難しいものをお願いします」と言われるようになりましたね。ちょっと難しいくらいが挑戦しがいがあって真似したくなるという風潮になって来た様に思います。

    ■乗り越えて「いいもの」を生み出す

    菅野:今日の「先生は先生である」という話からすると、振り付けだけをお願いするのは、もったいないオファーの仕方だと僕なんかは思っちゃいますけど…。まあ、それはさておき、先生と一緒に関わった仕事では、相当なピンチな状況も一緒に直面してきましたが、先生はそういう逆境にも強いですよね。フラッグハンドオーバーセレモニーの制作のときも、クリアすべき課題が山積して、時間もないし、いよいよ大変なことになってきたなと思っていたら、MIKIKO先生から「やる気しかない!」というLINEのメッセージが送られてきて…。あれにはびっくりしました。

    MIKIKO:どんなときも「死にはしない」と思いながらやっていますけど、その一方で、やばい、やばい、と追い詰められないと燃えないようなところもあるんです。何か絞り出さなくては、という状況は嫌いではないですね。

    菅野:確かに、条件が厳しいときこそ、全員がいつも以上の高い能力を発揮して、いいものが生まれやすいということはあります。フラッグハンドオーバーセレモニーもそうでしたし、カンヌやSXSWのPerfumeのライブも、みんなで頑張って乗り越えた結果、いいものが生み出されていますから。仕事をお願いするほうとしては、すごく心苦しいのですが…。

    MIKIKO:いわゆる「発想を変えざるをえない状況」ですよね。それはそれで意味があると思っています。あと、あまり先のことまであれこれ考えたり、想像したりはしませんね。

    菅野:じゃあ、いま目の前にあることにちゃんと向き合って、よし、これをやっていこう、という感じですか?

    MIKIKO:そうです。でも、明日やめてもいい、とも思っています。

    菅野:ますます、すご過ぎるのですが…(笑)、何か、こうありたい、こんなふうに生きていきたい、というイメージとか、座右の銘みたいなものとかってあったりするのですか?

    MIKIKO:ココ・シャネルの「20歳の顔は自然からの贈り物、30歳の顔はあなたの生きざま、50歳の顔はあなたの功績」という言葉は、昔からずっと好きですね。年を重ねてできたシワを隠すのではなくて、美しく刻んでいくことは、女性としての喜びだと私も思うので。

    だから、そのとき、その年齢でしか味わえないものを楽しむようにはしています。30歳になったら30歳になったで、「30歳ってこういうものなんだ」と味わいながら生きる。ちょっと客観的ですけど。

    菅野:初めて経験する立場を楽しもう、と。

    MIKIKO:そう。この年齢は、思っていたより悪くないな、とか思ったり(笑)。

    菅野:やっぱり前向きですね。人生の楽しみ方を知っているとも言えるかもしれませんが。

    MIKIKO:でもね、最近はさらに境地というか、目指すところが変わってきているんです。「棺おけに入ったときの顔がいちばんきれいだといいな」なんて思い始めていて…。隅々まで生きた! という感じがいい、と。

    菅野:ああ、それは確かに素敵です。真摯にやりきっている感じが、すごくMIKIKO先生らしいですね。

    (了)


    【登壇者プロフィール】

    MIKIKO
    演出振付家。ダンスカンパニー「ELEVENPLAY」主宰。Perfume、BABYMETALの振り付け・ライブ演出をはじめ、さまざまなPV、CM、舞台などの振り付けを手掛ける。メディアアートのシーンでも国内外で評価が高く、新しいテクノロジーをエンターテインメントに昇華させる技術を持つ演出家として、ジャンルを超えてさまざまなクリエーターとコラボレーションしている。

    菅野薫
    株式会社電通 CDC/Dentsu Lab Tokyo エグゼクティブ・クリエーティブ・ディレクター/クリエーティブ・テクノロジスト。2002年、電通に入社。テクノロジーと表現を専門に幅広い業務に従事。本田技研工業のインターナビ「Sound of Honda /Ayrton Senna 1989」、Apple AppStoreの2013年ベストアプリ「RoadMovies」、東京2020招致最終プレゼン「太田雄貴 Fencing Visualized」、国立競技場56年の歴史の最後の15分間「SAYONARA国立競技場FINAL FOR THE FUTURE」企画演出、BjörkやBrian Enoとの映像プロジェクトなど、活動は多岐にわたる。JAAA クリエーター・オブ・ザ・イヤー(2014年、2016年)、カンヌライオンズ/チタニウム部門グランプリ、D&AD Black Pencil、文化庁メディア芸術祭大賞、Prix Ars Electronica栄誉賞など、広告・デザイン・アートをはじめとする国内外のさまざまな領域で受賞多数。
    • (左)MIKIKOさん、(右)菅野さん

      (左)MIKIKOさん、(右)菅野さん

    2017年6月9日(金)開催
    「『演出振付家』という仕事、MIKIKOの演出術とは?」の抄録です。

    パノラマトーク03 「気持ちをハモらせることに時間をかける」(前編)
    GINZA PLACEの「common ginza」を舞台に、さまざまなジャンルのつくる人たちを招いて「トークイベント+α」を発信していく「パノラマトーク」。第3回は「『演出振付家』という仕事、MIKIKOの演出術とは?」というテーマで、「恋ダンス」からリオ2016大会閉会式東京2020フラッグハンドオーバーセレモニーまで、国内外で幅広い活躍を続ける演出振付家のMIKIKOさんと、MIKIKOさんと一緒に数多くのプロジェクトを手がけ、最先端のテクノロジーで広告やアートシーンに新たな影響を与え続けているクリエーティブディレクターの菅野薫さんによるトークが行われました。

    日時:2017年6月9日(金)19時〜
    場所:GINZA PLACE内「common ginza」

    MIKIKO(演出振付家)
    菅野薫(クリエーティブディレクター)

    企画プロデュース:電通ライブ クリエーティブユニット 金原亜紀
    編集:松永光弘
    写真撮影:船本諒

    ■MIKIKO先生は「先生」

    菅野:いきなりなのですが、まず今日のお話の結論を言ってしまおうかと思うんです(笑)。一緒に仕事をさせていただいているなかで、僕なりに「MIKIKO先生とはこういう存在だ」と感じているものがあるので、それを最初に話してしまおうかな、と。

    MIKIKO:面白いですね。私はどんな存在なんですか?

    菅野:「MIKIKO先生は、○○である」という言い方をするなら、たぶんいまだと一般的には、○○の部分には「振り付けをする人」、要するに「振付師」とか、「コレオグラファー」とかを入れる人が多いんじゃないかなと思うんですよ。

    ただ、僕がこれまでご一緒させていただいた仕事では、MIKIKO先生に振り付けだけをお願いすることはほとんどありません。たいてい、演出家としてお仕事をお願いします。振り付けは、その演出のなかに含まれている、という…。そう考えると、○○の部分は、やっぱり、ご自身で名乗っておられるように「演出振付家」なのかもしれない。でも、僕は何だかんだいっても、MIKIKO先生は、やっぱり「先生」なんじゃないかなと思うんです。その佇まいが。

    MIKIKO:ああ、なるほど。実際に私は先生をしてきた時間がいちばん長いんですよね。19歳のときから先生なので。いま関わっているものでも、Perfumeにしても、ELEVENPLAYにしても、BABYMETALにしても、みんな10年近く教えているのですが、始まりはやっぱり先生と生徒という関係ですから。それに仕事の現場でも「先生」と呼ばれることが多いですね。

    菅野:Perfumeの3人がそう呼ぶからですか?

    MIKIKO:CMとか、映画とかの監督を名前でなく「監督」と呼ぶのと同じで、振り付けの先生は「先生」と呼ばれるんです。そうしておけば、名前を覚えていなくてもいいという、業界の都合もあるのかもしれませんけど…(笑)。

    それにアクターズスクールでも、振り付けだけでなく、ボイストレーニングの先生のことも、みんな「先生」と呼んでいるんです。Perfumeの3人は、最初は私のことを「水野先生」って呼んでいたのですが、私がMIKIKOと名乗るようになってからは、気をつかって(笑)、「MIKIKO先生」と呼んでくれています。

    菅野:「MIKIKO」にしたのは、いつなんですか?

    MIKIKO:2006年から2年間、ニューヨークに留学していたのですが、そこから日本に帰ってきて、新たに頑張ろう、と思ったときです。それこそ「演出振付家」という肩書きも、自分に気合を入れるために、そのときに考えたものですね。

    菅野:ニューヨークでは、何を?

    MIKIKO:演出の勉強です。だから、日本に帰ってきたときは、とにかく演出をやりたいと思っていたのですが、いざ戻ってみると、うれしいことにPerfumeがすごく売れていて…。世の中では私は「振り付けの人」として認知されていたんです。でも、やりたかったのは、さっきも菅野さんがおっしゃったように、振り付けを含めた演出で…。


    ■「精神論」を大切にする

    菅野:そうだったんですか。ということは、MIKIKO先生は、そもそも立場的に「先生」なんですね。でも、僕は立場だけでなく、在り方としても「先生」なんだと思うんですよ。実際に、確かPerfumeのCDにクレジットとして入れるMIKIKO先生の肩書を何にするかという話になったときにも、いろいろ迷った末に「Teacher」にしたことがあったじゃないですか。

    MIKIKO:ありましたね。

    菅野:リオデジャネイロオリンピック(以下、リオオリンピック)の閉会式のフラッグハンドオーバーセレモニー(以下、ハンドオーバー)のときもそうでした。出演者には、ELEVENPLAYの主要メンバーもいたし、顔なじみの人たちもいたけれど、青森大学男子新体操部の人たちとか、ブラジル人のボランティアの方々とか、これまではなじみがなくて初めてお仕事する人もたくさんいましたよね。それでも、結局、MIKIKO先生は、みんなの「先生」になっていましたから。どうして、ああなるんですか?

    MIKIKO:自分では分かりませんが、本番に向けて、みんなと気持ちをハモらせることにはこだわっていますね。私としては、そこにいちばん時間をかけたいんです。だから、ちょっとでも表情が曇っている子がいたら、こそっと話しかけに行ったりもします。

    菅野:それ、すごく見かけました(笑)。当たり前のことかもしれませんが、出演者の名前も、ちゃんと全員覚えているし、先生は本当に優しいなと、いつも思うんですよ。CMの撮影のときも、出演者を上手に褒めてあげるでしょう? そうやりつつ、動きの一つ一つが美しく見えるように、ものすごく丁寧に指導しますよね。「そう! 素晴らしい。もう1回やってみようか」とか言いながら。

    それだけじゃない。振り付けとか、演出とかと関係のないところでも、ちゃんとみていて褒めてくれます。例えば、僕が書いた字コンテやコピーを見せたときですら、必ず何かいい視点を見つけて褒めてくれる。そうやって一緒に仕事をするひとたちを励ましながらつくっていくところが「先生」だなと思うんですよ。

    MIKIKO:いわゆる精神論の部分を気にしているところはありますね。例えば、ELEVENPLAYとRhizomatiks Researchとがコラボレーションしたダンスインスタレーション『phosphere(フォスフィア)』でも、一つのことを長く続けてきた人たちが、どういう思いで演じるべきなのかという精神性みたいなところをステージに乗せることをすごく意識しました。

    見に来てくださる人たちは、みんな背負っているものが違う。それでも、それぞれがステージに立っている人たちと共感できる瞬間を生み出そうとしたら、精神論の部分を大切にしなくてはいけないと思うんです。もちろん、それは説明するようなことじゃないし、直接、目に見えるものでもないのですが。


    ■あえて自分に向き合う

    菅野:ちょっと話は違うかもしれませんが、3月にドイツで開催されたCeBIT(セビット)※1のオープニングセレモニーで、日本国の依頼でスペシャルパフォーマンスを制作することになって、MIKIKO先生に総合演出をお願いしました。その過程で、先生の演出は本当に柔軟なんだなと思ったんです。というのも、あのときは、森山未來さんと、ELEVENPLAYの4人が出演者でしたが、森山さんには、あまりMIKIKO先生らしい緻密な振り付けを施さなかったじゃないですか。森山さんには、森山さんらしい即興に任せる部分が多かった、というか。あと、テクノロジーから発想されたアイディアも、柔軟に受け止めて人間的な表現に消化していったり…。

    ※1「CeBIT(セビット)」……ドイツのハノーバーで毎年開催されている世界最大級のテクノロジーエキスポ。

    MIKIKO:未來くんって、少し前に海外に留学していましたよね。ダンスを学ぶために。

    菅野:確か、行き先はイスラエルでしたね。

    MIKIKO:そう。彼は森山未來として、こんなに世の中に知られているのに、あえて留学した。そこにある思いみたいなものを考えると、やっぱりいちばん彼が得意とする身体の動きを世界の人に見てもらいたいなと思ったんです。

    でも、それって型がないものだったりしますから、振り付けの型にはめるよりは、即興に近いほうがいい。そうやって、彼ならではの人間離れした動きだったりというものを見せられたらなと、私のなかでは裏テーマとして考えていたんです。

    菅野:そうだったんですか。ちなみに、演者が男性のときと、女性のときとでは、演出や振り付けの仕方はやっぱり違うのですか? ELEVENPLAYは女性ですけど、森山未來さんは男性だし。「恋ダンス」は、同じ振りで演者は男女両方でしたが。

    MIKIKO:どちらかというと、男性を振り付けるほうが、私には難しいのですが…、それぞれが持って生まれた性を、いちばんいいかたちで、嫌みなく、こびなく、品良く、女性も男性も気持ちよく見ることができる表現を追求したいなとは、いつも思っています。身体を動かす、ダンスをするというのは、実はけっこうエグいことでもありますから。

    菅野:エグいですよね、身体を動かすのって。最もプリミティブなコミュニケーションですし…。お仕事としてやろう、こなそう、と思ってできるものじゃない。ちゃんと自分に向き合わなくてはいけないし、あえて向き合っていく、みたいなところがありますよね。そこのところは、リオパラリンピックのハンドオーバーのチームもすごかったですね。

    MIKIKO:本当にそうでしたね。そもそも振りを覚えて踊るだけでも大変なはずの人たちが、何度も何度も練習して、ちゃんと踊れるどころか、最高のパフォーマンスを見せてくれて…。

    菅野:あのときも、MIKIKO先生は事あるごとに、みんなに声を掛けに行っていました。「すごい! うまくいったじゃない!」って(笑)。

    MIKIKO:GIMICOさんをはじめ、個性的な人も多いチームでしたけど、みんな、最後は仲良くなっていましたよね。いろんな目で見られてきた経験を持っている人たちだし、最初はどこか身構えているようなところがあって、それが溶けていくのに少し時間は必要でしたけど。

    菅野:そうでしたね。でも、互いのコミュニケーション上のガードを溶かしていきながら、一緒にものをつくっていくのは、本当に尊く、素敵なことだなと思いました。その見えないプロセスが結果となって表現されるのが、またクリエーティブという仕事の素晴らしいところですよね。

    【登壇者プロフィール】

    MIKIKO
    演出振付家。ダンスカンパニー「ELEVENPLAY」主宰。Perfume、BABYMETALの振り付け・ライブ演出をはじめ、さまざまなPV、CM、舞台などの振り付けを手掛ける。メディアアートのシーンでも国内外で評価が高く、新しいテクノロジーをエンターテインメントに昇華させる技術を持つ演出家として、ジャンルを超えてさまざまなクリエーターとコラボレーションしている。

    菅野薫
    株式会社電通 CDC/Dentsu Lab Tokyo エグゼクティブ・クリエーティブ・ディレクター/クリエーティブ・テクノロジスト。2002年、電通に入社。テクノロジーと表現を専門に幅広い業務に従事。本田技研工業のインターナビ「Sound of Honda /Ayrton Senna 1989」、Apple AppStoreの2013年ベストアプリ「RoadMovies」、東京2020招致最終プレゼン「太田雄貴 Fencing Visualized」、国立競技場56年の歴史の最後の15分間「SAYONARA国立競技場FINAL FOR THE FUTURE」企画演出、BjörkやBrian Enoとの映像プロジェクトなど、活動は多岐にわたる。JAAA クリエーター・オブ・ザ・イヤー(2014年、2016年)、カンヌライオンズ/チタニウム部門グランプリ、D&AD Black Pencil、文化庁メディア芸術祭大賞、Prix Ars Electronica栄誉賞など、広告・デザイン・アートをはじめとする国内外のさまざまな領域で受賞多数。
    • 古館さん

      古館さん

    • 佐々木さん

      佐々木さん

    2017年5月16日(火)19時〜21時開催
    「古舘伊知郎が佐々木宏と、銀座なう。
    」の抄録です。

    パノラマトーク02 “人間の営みのにおい”をさせつつ着飾る(後編)
    GINZA PLACEの「common ginza」を舞台に、さまざまなつくる人たちを招いて「トークイベント+α」を発信していく「パノラマトーク」。第2回は「銀座、なう。」というテーマで、日本随一の“しゃべり屋”古舘伊知郎さんと、人気CMから国際的スポーツイベントにおける日本のプレゼンテーションまで、文字どおり“日本をCMする”クリエーティブディレクター、佐々木宏さんによるトークが行われました。

    日時:2017年5月16日(火)19時〜
    場所:GINZA PLACE内「common ginza」


    古舘伊知郎(フリーアナウンサー)
    佐々木宏(クリエーティブディレクター)

    企画プロデュース:電通ライブ クリエーティブユニット 金原亜紀
    編集協力:松永光弘
    写真撮影:船本諒

    ■ど真ん中の言葉は、意外と強い

    古舘:ぼくもキャッチフレーズのようなものをつくって、実況に乗せることはあるのだけど、どうしてもギトギトの幕の内弁当のように詰め合わせてしまうんです。でも、佐々木さんがつくる広告なんかを見ていると、「そうだ 京都、行こう。」にしても言葉がシンプルじゃないですか。そういう研ぎ澄まし方をしようと思ったら、どんどん言葉を捨てていくんですか?

    佐々木:CMの世界では、捨てていったほうがいいとはよく言いますね。とはいえ、ぼく自身はコピーライターでもあるのだけど、あんまりコピーっぽいコピーが書けないほうなんです。サントリーの缶コーヒー「ボス」の広告でも、いざコピーを書くとなったら、やっぱり「ボス」という商品名が入っていたほうがいいとまず思ってしまう。で、短くしようとして、「ボス のむ。」とか書いてしまったりする。古いものだと、麻薬・覚醒剤乱用防止のポスターの「ダメ。ゼッタイ。」とかも、じつはぼくのコピーなのですが…、まあ、素人同然で、コピーライターの世界では、まったく尊敬されないコピーなんですけどね。

    ただ、鍵となるような短い言葉が一つあると、広告キャンペーンとしては長く続きやすいんですよ。「そうだ 京都、行こう。」もそうだし、最近だと、宇宙人ジョーンズの「このろくでもない、すばらしき世界。」もそうですけど。

    古舘:トミー・リー・ジョーンズさんが出ている広告ですね、あれは本当に素晴らしいですね。

    佐々木:言葉はぼくじゃなくて、福里真一くんというCMプランナーが考えてくれたのですが、CMはもう11年も続いています。さっきの「お正月を写そう」も、ふつうの言葉ですけど、そういうど真ん中の言葉って、コピーライターとしてはちょっと恥ずかしいから、みんな意外と書かないんです。でも、そこをちゃんと見つけて言えると本当は強いんですよ。

    古舘:なるほど。もうずいぶん前のものだし、佐々木さんのお仕事ではないけれど、「おせちもいいけどカレーもね!」も一世を風靡(ふうび)しましたね。ぼく個人で言うと、アサヒスーパードライも刺さりましたよ。「コクがあるのに、キレがある。」。


    ■もっと曖昧な部分を大切にしたほうがいい

    佐々木:あのスーパードライのコピーは、ちょっとずるいところがありますね。ドライというかぎりは辛口なのに、それでも飲みやすいと言っているわけで、いいとこ取りです。でも、そういう両方あっていいという感じは、いまの日本には、とくにすごく必要な気がします。

    古舘:「このろくでもない、すばらしき世界。」もそうですね。いまの世の中を見ていると、自分のなかにろくでもないものがあって、それが外部化されて、いろんな良くないことが起こっている。どこかの国のせいばかりにはしていられない、という気持ちもある。報道ステーションをやっているときは、ぼくもいつもそう思っていましたよ。でも、そんななかで、「このろくでもない、すばらしき世界。」と言われると、捨てたもんじゃないと思えます。その微妙さというか、いい意味で中途半端なところがとっても日本らしいと、ぼくなんかは思いますね。

    佐々木:国内の様子を見ていても、最近はちょっと失敗した人を完膚なきまでにたたきのめすような風潮が社会にありますよね。その一方で、SMAPの解散一つとっても、たくさんの人たちが自分のことのように惜しんだりしていて、みんな仲良くできたらいいのにという気持ちもある気がするんです。ぼくとしては、後者の気持ちがもう少しうまく出てきて、世の中からけんかがなくなってほしいし、平和になってほしいと思う。キーワードは、「peace」。そのためには、「どちらでもない」という、もっと曖昧な部分を大切にしたほうがいいんじゃないかと思うんですよ。

    古舘:と言いますと?

    佐々木:例えば、新聞で世論調査をすると、だいたい「賛成」が何パーセントで、「反対」が何パーセント、「どちらでもない」が何パーセントみたいな発表をするじゃないですか。それをもとに報道番組なんかでも「結構、拮抗してますね」「反対が優勢です」なんて言って、どっちなんだ、みたいなことを問いかけたりする。でも、本当は、どっちかが正解ということじゃなくて、曖昧な部分に正解があったりするんじゃないかと思うんです。

    ときどき、何パーセントが態度を決めていない、みたいな言い方をされることもあるし、そうなると、賛成か、反対かをはっきりしていない人は頭が悪いんじゃないか、みたいな空気になったりもするのだけど、そもそも、ぼくだったら調査の対象になっても自分の意見を言わないと思う。そういうことまで考えると、白黒はっきりさせることが、必ずしも正解とは言えないんじゃないか。むしろ、そこで「こうじゃなきゃいけない」と決めつけることが、けんかとか、対立とかを生む原因の一つになっている気がするんです。

    古舘:そこはいちばん大切なところですよね。そういう話を聞いていると、自分が身を置いているマスコミの功罪の「罪」の深さをすごく感じます。どうしても、二者択一のほうが分かりやすいんですよ。善か悪かの二元論のほうが分かりやすい。でも、日本はそもそもが神仏習合で来た国ですからね。佐々木さんのおっしゃるとおり、基本的に二項対立的な考え方は合っていないとぼくも思います。悪く言えば、曖昧模糊ですが、よくいえば融通無碍(むげ)で、何とも言えない中庸の精神があるはずですから。


    ■「並木通り」はなぜ一流なのか

    古舘:もっとも、神仏習合と言っても、信仰という意味では、いまの日本人がどのくらい仏教を信じていて、どのくらい神道を信じているのかは分からないですよ。だって、表参道を通るとぼくはいつも思うのだけど、日本人って年に1回、大みそかの夜から三が日にかけて、うわっと大挙して明治神宮に詣でるじゃないですか。年に1回だけですよ、お社に向かって詣でるのは。それ以外は一年中、表参道という道のほうに詣でてますよ、みんな。ブランドショップのほうに(笑)。

    佐々木:特に表参道は再開発が進んで、いろんな施設やお店が次々とできていますからね。

    古舘:再開発と言えば、銀座もこのところ、すごいことになってきていますよね。ここのGINZA PLACEはもちろん、すぐそこにはGINZA SIXがオープンしたばかりだし、数寄屋橋のところには東急プラザ銀座もできましたし。

    佐々木:2020年のこともあって、至るところで再開発が進んでいますよね。でも、それがちょっと気になっているんです。ぼくのいちばんの興味は渋谷なのですが、どうやら渋谷駅の辺りに4つくらい大きなビルが建つらしいんです。もう工事が始まっていますけど、何年か前に初めてそれを聞いたとき、ちょっと嫌な感じがしたんですよ。というのも、汐留もそうだし、新宿副都心もそうだけど、再開発されてビル街になった街は、いわゆるビル風もすごいし、確かに現代的で整然としているのかもしれないけれど、歩いていても、あまり街という感じがしませんよね。

    古舘:再開発された街というのは、なんかプラモデルの街に迷い込んでいるみたいなところがありますよね。『報道ステーション』をやっていたときも、毎日、テレビ朝日の4階から六本木ヒルズのけやき坂通りを見ていたのだけど、あそこは雨が降っているかどうかが分からないんです。古い町並みだと、雨が降っている質感のようなものがあるじゃないですか。でも、きれいに整備されたところだと、それが分からない。

    佐々木:そうなんですよ。ぼくは渋谷がそうなってほしくないなと思ったんです。いまの渋谷には、いろんな職業の人がいるし、あちこちで若者がたむろしていたりもして、いい意味でわい雑さがありますよね。でも、ビル街になると、どうしてもオフィスワーカーが多くなるし、スクランブル交差点が日陰になったりして、せっかくのいいところが失われる気がするんです。

    だから再開発するにしても、汐留や新宿副都心のようにするのではなく、ニューヨークのタイムズスクエアみたいに広告がいっぱいあって、経済情報なんかもどんどん入ってきて、いろんなものが渦巻いているような街にしてほしい。または、廃止した高架鉄道のをレールを残したまま散歩道にしたニューヨークの「ハイライン」(※注)のような、新旧ハイブリッドの開発にする、とか。

    ※ハイライン…ニューヨーク市のマンハッタンにある全長2.3キロメートルにわたる線形公園。廃止されたニューヨーク・セントラル鉄道ウエストサイド線の高架の一部を、レールなどを残しつつ、モダンな散策路としてリノベーションした。


    古舘:いや、それは渋谷だけの話じゃありませんね。さっきもお話に出ましたが、銀座だって再開発が進んでいるし、丸の内だってどんどん変わっている。いまや東京全体が変わろうとしていますから。

    佐々木:総合プロデューサーみたいな人がいないんですよ。ビル1棟をどうするかは考えるんだけど、この街をどうするかということはあまり考えられていない。せっかく2020年に大きなイベントがあるわけだから、いろいろと知恵を出し合って、本当にみんなが幸せになるような方向に進めていったほうがいいと思うんですけどね。

    古舘:なかでも大切なのが、街のわい雑さとか、香りのようなものをちゃんと残すことだと。

    佐々木:そう思いますね。渋谷なら絶対にスクランブル交差点はあってほしいし、ハチ公もいてほしい。雑居ビルもあって、いろんなものが入り交じっているからにぎやかになるんです。大きなビルが建つだけじゃ、入るのはチェーン店ばかりで、面白いお店もできなくなるし。ぼくは広告の人間ですから、やっぱり広告のスペースもたくさんあってほしい。

    古舘:そのあたりのこととも関係があると思うのですが、この間ある人から、銀座の並木通りが、なぜずっと廃れずに一流の場所として残っているかという話を聞いたんです。あそこって資生堂の本社があるし、一流ブランドの店が軒を連ねているし、いわゆるポルシェビルとか、ウルワシビルとか、名所のようになっている建物もたくさんあるじゃないですか。確かにきらびやかなんですよ。不夜城のごとく、夜も眠りませんから。でも、それだけじゃないんです。あそこはね、かすかにドブのにおいがするそうなんですよ。歴史も長いし、古くなってきているビルも多いから、上下水道も年季が入ってきていて替えどきのものもあって、そこからちょっとだけ下水が漏れていたりする。人間の営みのにおいをさせつつ、着飾った街なんです。アラフォーの美しい女性が笑ったときの目尻の小じわ、みたいな(笑)。そこに色気が宿るわけじゃないですか、よく言うように。豆腐ようの話(前編リンク)じゃないのだけど、朽ちるか、朽ちないかというせめぎ合いのところがいちばんいい。街もそうですよね。

    佐々木:いや、本当にそうだと思いますよ。ニューヨークにしても、道路からたくさん湯気が出ていたりして、人間が動いている感じがするからいいんです。見過ごされがちなところだけど、そこは忘れずに大切にしていきたいですね。

    ※ハイライン…ニューヨーク市のマンハッタンにある全長2.3キロメートルにわたる線形公園。廃止されたニューヨーク・セントラル鉄道ウエストサイド線の高架の一部を、レールなどを残しつつ、モダンな散策路としてリノベーションした。

    (了)


    【登壇者プロフィール】

    古舘伊知郎(フリーアナウンサー)
    1954年生まれ。立教大学卒業後、1977年にテレビ朝日にアナウンサーとして入社。『ワールドプロレスリング』などの番組の実況を担当し、その鋭敏な語彙センス、ボルテージの高さで独特の「古舘節」を確立。小学生から大人に至るまで、プロレスファンの枠を超えて絶大なる支持を集めた。1984年6月にテレビ朝日を退社。F1、バラエティ、音楽番組などの司会、テレビ朝日『報道ステーション』のキャスターなどを務めたほか、現在は、NHK『人名探究バラエティー 日本人のおなまえっ!』やテレビ東京『おしゃべりオジサンと怒れる女』、フジテレビ『フルタチさん』などの番組で活躍している。

    佐々木宏(クリエーティブディレクター)
    1954年生まれ。慶應義塾大学卒業。1977年、電通入社。新聞雑誌局を経てクリエーティブ局に転局。コピーライター、クリエーティブディレクター、クリエーティブ局長職などを経て、2003年7月に独立。同年、シンガタを設立。企業や商品のブランディングをはじめ、数多くの広告作品を手掛けている。2016年には、リオデジャネイロオリンピックおよびパラリンピックの閉会式で東京大会のプレゼンテーションをおこなう「フラッグハンドオーバーセレモニー」のプロデュースを担当した。主な仕事には、「ブラッド・ピット&キャメロン・ディアス」「白戸家シリーズ」などソフトバンクの全キャンペーンを13年、サントリー「ボス」を25年。「モルツ球団」「リザーブ友の会」「3.11歌のリレー」、トヨタ自動車「TOYOTA ReBORN」「ドラえもん」「ピンクのクラウン」「ECO-PROJECT」、JR東海「そうだ 京都、行こう。」、ANA「ニューヨークへ、行こう。」「LIVE/中国/ANA」、富士フイルム「樹木希林お店シリーズ」「お正月を写そう」、資生堂「UNO FOGBAR ビートルズロンドン編」、KDDI「合併」「auブランド」、三井不動産「芝浦アイランド」など。ADCグランプリ3回、TCCグランプリ、ACCグランプリ、クリエーター・オブ・ザ・イヤー賞ほか受賞多数。

    2017年5月16日(火)19時〜21時開催
    「古舘伊知郎が佐々木宏と、銀座なう。
    」の抄録です。

    パノラマトーク02 “人間の営みのにおい”をさせつつ着飾る(前編)
    GINZA PLACEの「common ginza」を舞台に、さまざまなつくる人たちを招いて「トークイベント+α」を発信していく「パノラマトーク」。第2回は「銀座、なう。」というテーマで、日本随一の“しゃべり屋”古舘伊知郎さんと、人気CMから国際的スポーツイベントにおける日本のプレゼンテーションまで、文字どおり“日本をCMする”クリエーティブディレクター、佐々木宏さんによるトークが行われました。

    日時:2017年5月16日(火)19時〜
    場所:GINZA PLACE内「common ginza」

    古舘伊知郎(フリーアナウンサー)
    佐々木宏(クリエーティブディレクター)

    企画プロデュース:電通ライブ クリエーティブユニット 金原亜紀
    編集協力:松永光弘
    写真撮影:船本諒

    ■年寄りがシャシャリ出てもいい時代

    佐々木:初めて古舘さんと会ったのは、25歳のときだったから、もう40年くらい前のことですね。共通の友人の吉澤一彦くん(元テレビ朝日アナウンサー、現在はフリー)の引き合わせで3人で飲んで、ずいぶんと熱く語り合った覚えがあります。よくある話で、それきり何十年も連絡も取り合わず(笑)、そうこうするうちに古舘さんはすごい人になってしまって…。

    古舘:いやいや、全然大したことはないですよ。でも、『報道ステーション』を12年やって、終わったなと思っているところに、佐々木さんから担当しておられるソフトバンクのCMに出ないかと声を掛けてもらいましたよね。あれはうれしかったですね。

    佐々木:お願いするなら、いまだなと思って(笑)。とはいえ、もう60歳を過ぎていらっしゃるわけで、ふつうなら静かに余生を、みたいなことを考えてもいい年だと思うんです。ところが、古舘さんは『報道ステーション』をやめた後もテレビのレギュラーを次々と勝ち取って、とんでもない勢いで活躍されている。そういう姿を見ているのは、同い年としてはすごくうれしいんですけど、実際のところ、これからまた別の報道番組をやろうとか、『NHK紅白歌合戦』の司会をもう1回やろうとか、スポーツ実況をやろうとか、何か考えていることはあるのですか?

    古舘:お恥ずかしい話ですけど、いま挙げていただいたことは全部やりたいんです。自分の欲の深さにあきれ返りますけど…。たまに道行く人に声を掛けられて、「最近の『NHK紅白歌合戦』は、若い人が中心だけど、古舘さんのプロっぽい司会もまた聞いてみたい」なんて言われただけで歩けなくなるんですよ、感動して(笑)。もう1回やりたいと気持ちがうずくんです。スポーツ実況だって、40年くらいやっているわけだから、「2020年、東京オリンピック、日本選手団。56年ぶりにあのときと同じコスチュームで入場してまいりました。この56年間で、果たして世界は平和になったのか」とか、放送コードをギリギリ守りつつ(笑)、やってみたい。報道番組だって、月曜から金曜まで毎日というのは大変かもしれないけれど、週1くらいで1週間を総ざらえするくらいならできるんじゃないか…とか。そういうオファーを常に心待ちにしているようなところはありますね。

    佐々木:もともと古舘さんって、番組を面白くする人なんだと思うんですよ。プロレスにしても、F1にしても、そのままだと興味のない人には全然面白くない。でも、古舘さんが実況すると、途端に面白くなる。それは裏側にあるものを浮き彫りにできるところにあると思うんです。

    古舘:ぼくね、そこは笑うべきじゃないってところにいたずらを仕掛けるのが好きなんですよ。F1だったら、確かに好きじゃない人は「グルグルまわっているだけだ」なんて言うじゃないですか。そういう人に向かって「グルグルまわっております。5周目、7周目、いつもより余計にまわっております」とか言ってみたくなる。そうすると、一部にはウケて、一部にはひんしゅくを買うことになるのだけど、そのはざまが好きなんです。それをあちこちでやってみたいというところが、ちょっと欲深いのですが。

    佐々木:あれもやりたい、これもやりたいという意味では、ぼくも同じようなことは思っていますよ。『NHK紅白歌合戦』もつくってみたいし、アカデミー賞とか、あとオリンピックだって、なんらか関わってみたい。ただ、いまはそれを口に出すとひんしゅくを買う時代じゃないですか。そう思って封印しているようなところがありますが…。

    古舘:そこは本当に難しいところですし、言っていることが矛盾するようでもあるのだけれど、ぼくら60歳を過ぎたジジイが、積極果敢に出ていってもいいような時代になりつつはありますよね。世の中全体が『やすらぎの郷』(※注)みたいなことになってきているというか(笑)。高齢化がさらに進んで、2030年には日本の人口の40パーセントが年寄りになるそうじゃないですか。それがいいとか、悪いとかは議論の余地があるにしても、年寄りがシャシャリ出ても許されやすい社会になってきているとは思うんです。

    佐々木:昔なら60歳は死んでもおかしくない年だけれど、いまは健康な人も多いし、見た目も若々しいですからね。ぼくの電通の頃の同期なんかは、もう引退している人も多いのですが、みんな元気だし、何か線の引き方が間違っているんじゃないかと思うこともありますよ。

    ※『やすらぎの郷』…テレビの世界で活躍した人物だけが入居できる老人ホームを舞台にしたドラマ。倉本聰が脚本を手掛け、石坂浩二、浅丘ルリ子、有馬稲子、藤竜也ら、昭和を代表する俳優が共演。テレビ朝日系列で2017年4月から放送されている。


    ■腐るのではなく、「発酵」を目指そう

    佐々木:仕事でお付き合いのあったところでも、加山雄三さんは80歳を迎えられましたし、桑田佳祐さんも61歳で還暦を迎えられている。でも、お二人とも元気そのものですよ。で、かつて伊勢丹の広告にあったコピーを思い出したんです。「四十才は二度目のハタチ。」。眞木準さんというコピーライターが書いたものなんですけど、いいコピーでしょう? これをアレンジしたら、桑田さんは「三度目のハタチ」。加山さんは「四度目のハタチ」と言えるなと思って。

    古舘:面白い発想ですね。それでぼくも思い出したのだけど、沖縄では長寿を祝うときに、豆腐ようの原型といわれるイタミ六十(るくじゅう)という短期発酵させた豆腐を二つ重ねて食べるそうなんです。60を二つ重ねるから120歳を意味しているのですが、「ひゃくにじゅっさい」とは言わない。「“ひゃくハタチ”まで長生きしよう」と言うらしくて。

    佐々木:ちょっと似てますね。

    古舘:でしょう? でね、この間、番組で勉強したのですが、沖縄の豆腐ようがまた面白いんですよ。豆腐ようは、ご存じのとおり、沖縄の島豆腐を発酵、熟成させた食べ物で、発酵だから腐っていると思われがちなのだけどそうじゃない。簡単に言えば、麹と泡盛で豆腐を熟成させていくのですが、そこで何が起こっているかというと、麹はとにかく腐らせようとアクセルを踏む。それに対して、泡盛が腐るなとブレーキを掛けている。その両方がギリギリのところで押し合っている、腐るか、腐らないかという状態が発酵なんだそうです。これ、人間も同じだと思うんですよ。われわれも腐るんじゃなくて発酵を目指したほうがいい(笑)。

    佐々木:発酵の仕方もいろいろありそうですね。さっき、25歳のときに意気投合したと話しましたけど、その後の人生もぼくと古舘さんじゃ、全然違っている。古舘さんは、博学で、検索すれば何でも出てくる“一人iPhone状態”じゃないですか。しかもそれを、ものすごく面白く話せる。でも、ぼくは「確か、ほら…」みたいにしか話せなくて、知識を蓄えるのも得意じゃない。そのぶん人の話を聞いて、「こういうの、どうですか?」と思いつきをやや口から出まかせで(笑)、かたちにするような仕事をしているわけで。

    古舘:いきなりピンクのクラウンを広告に登場させたりね。

    佐々木:あのときは、ピンク色にすることで、前田敦子さんのような若い女の子も乗ってくれるようなものになったらいいなと思ったのですが、あれも自分と同い年のクルマがこの先どうなっていくといいのかなと思いをめぐらせていたときに、口をついて出た思いつきですよ。

    古舘:そのほうがよっぽどかっこいいじゃないですか。古舘さんはいろいろ知っているけど、しゃべるしかない。でも、ぼくはそういうものがないから、こんな素敵な発想ができるって。ぼくをダシにしてますよね(笑)。JR東海の「そうだ 京都、行こう。」も佐々木さんでしょう? 樹木希林さんが出ておられるフジカラーの「お正月を写そう」もそうですよね。本当に素晴らしい仕事をたくさんしていらっしゃる。

    佐々木:「お正月を写そう」は途中から引き継いだのですが…、希林さんには、いったん死んでいただいて、ハイブリッドの樹になって蘇るという役でトヨタの「TOYOTOWN」シリーズにも出ていただいてますし、かなりお世話になっていますね。


    ■何げない言葉が人の胸を打つ

    古舘:ぼくもこの間、ある仕事で樹木希林さんと2時間くらいじっくりとお話しさせていただいたのですが、あの人は本当にすごいですね。言うことなすこと、面白いし。以前、たまたまラジオを聞いていたら、伊集院光さんがパーソナリティを務めている番組に希林さんがゲストで出ておられたんです。そこでの話もいろいろ面白かったのだけど、帰り際に「番組のスポンサーから、コーヒーの詰め合わせをお土産に差し上げます」と言われて、「いらないわ。だって、インスタントコーヒー、飲まないもの」と断って終わり、ですよ。贈答文化の完全否定(笑)。絶対に妥協しない。

    だから、ぼくがインタビューしたときは、収録が終わった後にまずこう言ったんです。「希林さん、あまり贈答文化を否定しないでください。日本人って、それでうまくいくようなところがあるじゃないですか」って。そう前置きしてから、買ってきた焼酎をお渡ししました。焼酎はお好きだと知ってたのだけど、でもやっぱりいらないと言われるかなと思ったら、「芋? 麦?」とおっしゃって(笑)。ドキドキしながら「芋」と答えたら、「じゃあ、もらっていくわ。私、麦は嫌いなのよ」と言って、奪うように持って帰られましたよ(笑)。素晴らしいちゃめっ気と面白さです。

    佐々木:本当に魅力的で、かっこいい人ですよね。あれだけの大女優なのに、マネジャーもいないし、全部一人でされていて。

    古舘:そうなんですよ。一人で電車でいらっしゃるし、洋服だって5着しかないっていうじゃないですか。それを自分で繕ったりしながら着まわしていらっしゃる。おっしゃるとおり、かっこいいですよね。

    でね、ギャラの交渉も自分でされるというから、実際のところ、どうしているんですか? と聞いてみたんです。そうしたら、ご本人いわく、相手から話をひととおり聞いた後で、「それで、いかほどいただけるの?」とたずねるそうなんですよ。で、その金額が安いと思ったら、「安い」というのはカドが立つから、ひと呼吸置いて「かったるいわね」と言う。この日本語の豊穣さ(笑)。そう言われると、言われたほうもそんなに悪い気になりませんよ。そしてその後に、二の矢で「だったらね、あの人、紹介するわ」と、他の人を紹介するんですって。そうやって映画界はうまくまわっているわけです(笑)。

    佐々木:希林さんは、ご自宅の留守番電話も有名ですよね。キャリアも長いから、昔出た映画とか、CMとかの肖像権に関する問い合わせが結構多いそうなんですが、それにいちいち答えるのもそれこそ「かったるい」と思っておられるのか、留守番電話のメッセージの最後に、「どんどん使ってください」というような一言が入っているそうなんです。そういうところがまたいいんですよ。

    古舘:何げない言葉が人の胸を打つんですよね。

    佐々木:希林さんは、言葉を持っている人ですね。さっきおっしゃったフジカラーのCMに、「美しい人はより美しく、そうでない方は…それなりに写ります。」という名文句があるじゃないですか。あのCMは川崎徹さんという天才的な人がつくったものですが、「それなりに」の部分は、実は希林さんのアドリブなんです。

    古舘:「かったるいわね」に通じるものがありますね(笑)。


    【登壇者プロフィール】

    古舘伊知郎(フリーアナウンサー)
    1954年生まれ。立教大学卒業後、1977年にテレビ朝日にアナウンサーとして入社。『ワールドプロレスリング』などの番組の実況を担当し、その鋭敏な語彙センス、ボルテージの高さで独特の「古舘節」を確立。小学生から大人に至るまで、プロレスファンの枠を超えて絶大なる支持を集めた。1984年6月にテレビ朝日を退社。F1、バラエティ、音楽番組などの司会、テレビ朝日『報道ステーション』のキャスターなどを務めたほか、現在は、NHK『人名探究バラエティー 日本人のおなまえっ!』やテレビ東京『おしゃべりオジサンと怒れる女』、フジテレビ『フルタチさん』などの番組で活躍している。

    佐々木宏(クリエーティブディレクター)
    1954年生まれ。慶應義塾大学卒業。1977年、電通入社。新聞雑誌局を経てクリエーティブ局に転局。コピーライター、クリエーティブディレクター、クリエーティブ局長職などを経て、2003年7月に独立。同年、シンガタを設立。企業や商品のブランディングをはじめ、数多くの広告作品を手掛けている。2016年には、リオデジャネイロオリンピックおよびパラリンピックの閉会式で東京大会のプレゼンテーションをおこなう「フラッグハンドオーバーセレモニー」のプロデュースを担当した。主な仕事には、「ブラッド・ピット&キャメロン・ディアス」「白戸家シリーズ」などソフトバンクの全キャンペーンを13年、サントリー「ボス」を25年。「モルツ球団」「リザーブ友の会」「3.11歌のリレー」、トヨタ自動車「TOYOTA ReBORN」「ドラえもん」「ピンクのクラウン」「ECO-PROJECT」、JR東海「そうだ 京都、行こう。」、ANA「ニューヨークへ、行こう。」「LIVE/中国/ANA」、富士フイルム「樹木希林お店シリーズ」「お正月を写そう」、資生堂「UNO FOGBAR ビートルズロンドン編」、KDDI「合併」「auブランド」、三井不動産「芝浦アイランド」など。ADCグランプリ3回、TCCグランプリ、ACCグランプリ、クリエーター・オブ・ザ・イヤー賞ほか受賞多数。

    2017年4月6日(木)19時〜21時
    「未来の劇場」をテーマにしたトークショーの抄録です

    パノラマトーク01 「脳内に立体が浮かぶ」新しい劇場体験とは(後編)
    GINZA PLACEの「common ginza」(リンク)を舞台に、さまざまなつくる人たちを招いて「トークイベント+α」を発信していく「パノラマトーク」。記念すべき第1回は、「未来の劇場」をテーマに、海外でも高い評価を得ているボーカロイドオペラ『THE END』の制作者である渋谷慶一郎さん、YKBXさん、evalaさん、それにメディアアートキュレーターの阿部一直さんをお迎えしてのトーク&『THE END』の特別上映が行われました。

    日時:2017年4月6日(木)19時〜
    場所:GINZA PLACE内「common ginza」(リンク)

    渋谷慶一郎(音楽家)
    YKBX(映像作家ディレクター・アートディレクター・アーティスト)
    evala(サウンドアーティスト)
    阿部一直(メディアアートキュレーター)
    モデレーター:小川滋(株式会社電通)

    企画プロデュース:金原亜紀
    編集協力:松永光弘写真撮影:船本諒

    ■死は非常にパーソナルなもの

    小川:もう一つ、渋谷さんやevalaさん、YKBXさんたちと一緒に海外公演をまわらせてもらうようになって感じたのは、海外のほうがお客さんの層が広いということ。ふつうにクラシックオペラを見るような人もいれば、アート系の人もいる。現代音楽が好きな人もいる。『THE END』の海外公演には、そういういろんな嗜好性を持ったお客さんが一つの空間で、根本的に新しい体験を楽しんでいるという印象があります。すごく積極的に受け入れられているし、作品自体に興味も持たれている。メディアの食いつき方もすごいですよね。

    渋谷:たぶん、評判が先に伝わっているのだとは思いますが、でも、回を追うごとに反応が深くなっている感じはありますね。いちばん最初にシャトレ座でやったときは、記者会見なんかでも、「なんで初音ミクでやるんですか?」などと聞かれたし、ぼくもそのときはキレキレだったので(笑)、「その質問は日本でも100回くらい聞かれて飽きている。せっかくパリに来たんだから、もっといいことを聞いてくれ」などと切り返したりもしたけれど、そういうありふれた質問は確に減ってきている気がします。最近は日本の死生観とか、この作品とヨーロッパの死生観の関係性とか、そういうものが増えていますね。日本だとテクノロジーに関する質問も多いのだけど、逆にそういうものは海外ではほとんどない。どちらかといえば、哲学的な問いです。

    YKBX:ぼくもそれは同感です。とにかく、なんとか理解したいという質問が多い気がします。ぼくの場合はビジュアルについてですが、冒頭から最後まで「このシーンには、どういう意図があるんだ?」と細かく聞かれることも少なくない。あとは、やっぱり渋谷さんと同じで、死生観についてですね。

    evala:ぼくは、初音ミクと他のボーカロイドは何が違うんだ、というようなことを聞かれたりもします。日本ではそういう質問はほとんどありませんが……。でも、それもテクニカルというよりは、確かに思想的な話かもしれない。

    小川:『THE END』が発表された直後の2012年から2013年にかけてのころは、日本では初音ミクという一見、死とは関係のなさそうな存在が死を問うことについて、おそらく、東日本大震災によって生じた喪失感から解釈されることが多かったと思うのですが、そのあたりはどうですか?

    渋谷:そのころぼくがよく言っていたのは、死というものは、パーソナルなものなんだということです。人間って、知っている人や家族が死ぬとすごく重く受け止めますよね。でも、知らない人が1000人死んだり、1万人死んだりしても、悲しいかもしれないけれど、知っている人間の死の受け止め方とはまったく違う。死というものは、そのくらい個人的なものなんだと思うんです。
     だから、ぼくは『THE END』を、たくさんの人の死に直面して、そこにある喪失感がどうだというような作品にはしたくなかった。同時に、死というものが不可避的で、原因もなく、理由もなく、時期もまったく定めずにやってくることを考えると、人間はたくさんの死と共存しているともいえるんじゃないかとも感じていました。極端なことをいうと、PCのハードディスクが飛んじゃったという“死”が、まったく知らない人の死より、その人にとっては重大だったりするわけです。こういうと変な意見に聞こえるかもしれないけれど、実際のところはそうだと思うんですよ、人間って。

    阿部:ヨーロッパも、IS(イスラム国)をはじめとしたテロだったりというものにも直面していて、現在は解決困難なものが各国にまん延しています。そういうなかで、散在する小さな死というものが、よりリアルになってきてしまったという側面もあるかもしれません。『THE END』が必要とされていて、かつ、いまなお共感を得られているのには、そういう背景がある気もしますね。

    ■『THE END』は“劇場破り”

    阿部:初演時の2012年から2013年にかけてはどんどん手を加えて、特に最後の部分を、初演時に比べると長く延ばしたりしていますよね。YCAMのときは、文字どおり劇的なエンディングを迎えるかたちでしたが、東京公演のバージョンからはその先が追加されていて、なかなか初音ミクが死なない。
     例えば『蝶々夫人』のように、最後に劇的な死があると、ストーリーとしてはきれいに落ちるんです。だけど、『THE END』は、渋谷さんがどんどん引き延ばしていて、いつまでもミクが死なない。というか、死んでいるのか、死んでいないのか、分からないような宙ぶらりんの状態がつづきますよね。

    渋谷:2012年にYCAMでやったときは、いちばん最後はホワイトノイズの嵐で、ごう音のなかで舞台がひっくり返って終わるというような、エクストリーム志向でした。それは当時のメディアアート周辺、テクノロジー周辺にはすごくフィットしていたと思うんです。でも、同時にそのままだと作品が残らないとも思っていました。
     というのも、実際の死というものは、もっとダラダラしていますよね。取り残された人たちの気持ちの持って行き場もダラダラしているし、死んでいると思いたくないとか、死とも生ともいえない、いろんな中間形態のようなものがあるのが実際の死です。
     そう思ったから、ごう音の後で、その直前の何十秒間かの曲を逆再生させた音楽をつくって、そこにボサノバのようなリズムが入ってきたりして、終わったのになんでまだ始まっちゃってるの?みたいな状態にしたんです。曲をつくりながら、同時に詞も書いたのだけど、そういうなかでぼくが考えたのは、誰かが死んだらできないことはなんなのかということだった。
     触れないとか、聞こえないとか、結構ないないづくしなんですよ。でも、これができない、あれができないといっているのも、死んでいるほうなのか、取り残されているほうなのかもはっきりしない。だから、そういうもの、つまりは死に対して人間ができないことを箇条書き的に並べて、それをリピートして終わるというかたちにしたんです。

    阿部:実をいうと、ぼくも最初は劇的な落ちがいいかなと思ったりもしたのですが、いま考えると、生きているのか、死んでいるのか、分からない状態で引き延ばされていくのも、すごく効いているなと感じています。
     これがいちばん印象的だったのは、オランダのアムステルダムなんですよ。ホランド・フェスティバルという大きなフェスティバルでの公演で、『THE END』の前後の演目が、ふつうのオペラだったんです。特に前の演目は、アルバン・ベルクの『ルル』だったんですよね。主人公のルルが切り裂きジャックに殺されるという、まさにヨーロッパ的な落ちで、それと『THE END』のミクはあまりに対照的でした。

    小川:阿部さんはメディアアートキュレーターとして、世界中のいろんなメディアアートをご覧になっているわけですが、『THE END』のような作品は、ヨーロッパでは出てこないのですか?

    阿部:ヨーロッパのオペラハウスでも、現代アートに区分される作品はたくさんつくられているんですよ。旧来的なオーケストラと合唱のような19世紀的なシステムを使って、現代のストーリーが上演されたりもしています。
     でも、そういうなかで『THE END』がこれだけヨーロッパの各地から呼ばれつづけているのは、ヨーロッパではプロデュースできないところがあるからだと思いますね。道場破りというか、劇場破りというか、きっとそういう存在なんです。裏を返せば、それは進化として認められているということだし、期待されているということだとも思います。

    渋谷:まったくかけ離れているわけではないとは思うけれど、絶対にヨーロッパからは出てこない発想ですからね。

    ■いまの東京は文化の発信が難しくなっている

    阿部:未来を考えるという点では、本当はこういう作品からエッセンスを抽出して、この先のクリエーションにどうつなげていくかが大切なんです。
     というのも、一般には劇場というと、チケットがあって、その番号通りにお客さんが前を向いて座って、ステージがあって、そこで作品が上演されるのを見て……というパターンが決まってしまっています。でも、『THE END』は、基本的な形式こそそれに沿ってはいるけれど、内容としては新しい視覚体験をひたすら追求している。そういう作品から、自由な表現をどうやってつくっていくか、それができる施設やシステムとはどういうものなのかといったことを、ぼくらは模索しなくてはいけない。

    渋谷:YCAMはともかく、そうやってアーティストが表現を追求できる場所が東京に一つもないのはおかしいと、ぼくは思いますね。「ハコモノ」という言葉がありますが、よくある一般的な劇場があちこちにできても、文化の発信にはならない。すでにできたものを見せるだけで、そこで新しいものをつくりだしているわけではないのだから。そういう意味で、東京は文化の発信が難しい場所になってきていると思う。

    阿部:クリエーターの質としては、東京は間違いなく世界最高レベルなのですが、真面目すぎるんでしょうかね。一種の狂気のようなものをそこに込められれば、すごいことになるとは思うのだけど……。

    渋谷:既存の公演をやるのは、いまある劇場でいいと思うんですよ。この先、大切なのは、アーティストとか、技術者が共同して何かをつくっているときの熱のようなものを、可視化することだとぼくは思う。それができると、東京はもっと変わるんじゃないですかね。
     ぼく自身はYCAMやヨーロッパで仕事をするようになって、劇場に対する信頼度がグッと上がったんです。『THE END』にしても、海外の劇場に呼ばれて行ってみると、現地の人がみんな本気で作品のために動こうとしてくれているし、ワクワクしながら見守ってくれたりもする。劇場でやるってことは机上の空論じゃなくて、リアルにこの場所で、この予算で、この集客で何をやるか、ということ。でも、いまの東京には、そういう場所がないんですよ。
     ホワイトキューブのラボを貸し出して、部屋のなかでアーティストが何かをつくっているのが外から見える。その場でリアルに生み出されている何かを見ることができる。最初はそれで十分だと思うんです。でも、そういうことをやらないで、借りてきたものを見せたりするだけの都市になると、なかなか成熟していかないんじゃないかと思います。

    小川:テクノロジーがアートをドライブする面と、アートがテクノロジーをドライブする面があると思うんです。このうちの後者が、特に日本では希薄だなとぼくは感じています。びっくりするようなこととか、笑っちゃうようなこととか、いろんなことが起きてくるような、真面目なことだけでできてない街になっていくように、フォーマットにとらわれず、いろいろ仕掛けていかなくちゃですね。

    (了)

    【登壇者プロフィール】
    ※前半後半共に共通

    渋谷慶一郎(音楽家)
    1973年生まれ。東京芸術大学音楽学部作曲科卒業。2002年に音楽レーベルATAKを設立、国内外の先鋭的な電子音楽作品をリリースする。代表作にピアノ・ソロ・アルバム『ATAK015 for maria』『ATAK020 THE END』、パリ・シャトレ座でのソロ・コンサートを収録した『ATAK022 Live in Paris』など。また、映画『はじまりの記憶 杉本博司』、テレビドラマ『SPEC』など、数多くの映画やテレビドラマ、CMの音楽も担当。2012年には、初音ミク主演による映像とコンピュータ音響による人間不在のボーカロイドオペラ『THE END』をYCAMで発表。同作品は、その後、東京、パリ、アムステルダム、ハンブルク、オーフス、アブダビなどで公演が行われ、現在も世界中から上演要請を受けている。

    YKBX(ディレクター・アートディレクター・アーティスト)
    各種映像作品のディレクションや制作に加え、アートディレクション、イラストレーションやグラフィックデザインなど活動は多岐にわたる。トータルアートディレクションを目指した作品を数々リリースし、国内外の映画祭やイベントでも高く評価されている。初音ミク主演のボーカロイドオペラ『THE END』では、ルイ・ヴィトンと衣装コラボレーションを行い、全てのビジュアルディレクション・共同演出・映像ディレクターを務めた。
    2016年に安室奈美恵 “NHKリオデジャネイロオリンピック・パラリンピック放送テーマソング” 『Hero』ミュージックビデオを手掛け、加えてアーティスト写真やジャケットなどの全てのビジュアルをディレクション。また、SMAPとのフェイスマッピングプロジェクトや安室奈美恵×GUCCI×VOGUEプロジェクト、攻殻機動隊ARISEのオープニング、現国立競技場クローズイベント映像演出や世界初OculusRiftを駆使したVRミュージックビデオをリリース、2014年にはソチオリンピック公式放送オープニングの演出などジャンルを超えた作品を数々生み出している。

    evala(サウンドアーティスト)
    先鋭的な電子音楽作品を発表し、国内外でインスタレーションやコンサートを行っている。立体音響インスタレーション『大きな耳をもったキツネ』や『hearing things #Metronome』では、暗闇のなかで音が生き物のように振る舞う現象を構築し、「耳で視る」という新たな聴覚体験を創出。サウンドアートの歴史を更新する重要作として、各界から高い評価を得ている。舞台や映画、公共空間においても、先端テクノロジーを用いた多彩な楽曲を提供したり、サウンドプロデュースを手掛けたりもしている。カンヌライオンズ国際クリエーティビティ・フェスティバルや文化庁メディア芸術祭での受賞歴多数。

    阿部一直 (メディアアートキュレーター)
    90年代のメディアアートをリードした「キヤノン・アートラボ」にて、数多くのアートプロジェクトをプロデュースしたのち、コンセプトや制度設計から関わった山口情報芸術センター(YCAM)でチーフキュレーター、アーティスティックディレクターとして主催事業全般をディレクション、監修。渋谷慶一郎らによるボーカロイドオペラ『THE END』のプロデュースも手掛けた。アートセンターのあるべき姿を意識しながら、人材育成や場づくりにも積極的に取り組んでいる。

    小川滋(株式会社電通 ビジネス・クリエーション・センター レガシー事業推進室)
    ゼロ年代から都市開発に関わるなかで、都市のブランディングと文化発信の関係に興味を深める。当初は一人の観客として『THE END』を見ていたが、縁あって2015年のオランダ公演から“中の人”に。 各国の招聘公演での観客やメディアの反応から、『THE END』のテクノロジーアートとしての魅力に確信を得つつ、いまに至る。

    2017年4月6日(木)19時〜21時
    「未来の劇場」をテーマにしたトークショーの抄録です

    パノラマトーク01 「脳内に立体が浮かぶ」新しい劇場体験とは(前編)
    さまざまなつくる人たちを招いて「トークイベント+α」を発信していく「パノラマトーク」。記念すべき第1回は、「未来の劇場」をテーマに、海外でも高い評価を得ているボーカロイドオペラ『THE END』の制作者である渋谷慶一郎さん、YKBXさん、evalaさん、それにメディアアートキュレーターの阿部一直さんをお迎えしてのトーク&『THE END』の特別上映が行われました。

    渋谷慶一郎(音楽家)
    YKBX(ディレクター・アートディレクター・アーティスト)
    evala(サウンドアーティスト)
    阿部一直(メディアアートキュレーター)
    モデレーター:小川滋(株式会社電通)

    企画プロデュース:金原亜紀
    編集協力:松永光弘
    写真撮影:船本諒

    ■音が身体を突き抜けていく体験

    小川:きょうは銀座でボーカロイドオペラ『THE END』の話ができるというので、ぼく自身、ちょっと興奮しています(笑)。『THE END』は、ご存じのとおり、音楽家の渋谷慶一郎さんが中心となって、サウンドアーティストのevalaさんやアーティストのYKBXさんらとコラボしてつくったメディアアート作品で、主演はボーカロイドの初音ミク。オーケストラはもちろん歌手も含めて、人間が出てこない世界初のオペラです。初演は、阿部さんがいらしたYCAM(山口情報芸術センター)でしたね。

    阿部:そうです。YCAMは劇場的なものも含めてさまざまなメディアアート作品をプロデュースしていますが、『THE END』は、その一つとして、2012年にぼくがプロデュースしました。

    小川:実はぼくもそのときのオーディエンスの一人だったので、初演のすごさも知っているのですが、さらにすごいなと思うのはその後です。翌年には、東京のBunkamuraとパリのシャトレ座で公演していますよね。その後もオファーが絶えなくて、初演から5年近くになるいまでも、世界のあちこちを巡回しています。

    渋谷:去年はアブダビでもやりましたね、UAEの。その前はデンマークのオーフスとドイツのハンブルク、それにオランダのアムステルダムです。

    阿部:ともするとすぐに過去のものになりがちなメディアアート作品が、5年たっても古くなるどころか、いまだに現在進行形なんですよね。リアルタイムの表現として、これだけ継続して世界中で受け入れられているのは、すごく珍しいことですよ。

    小川:始まりは、阿部さんから渋谷さんへのオファーでしたよね?

    渋谷:そうです。『THE END』に関しては、2012年に阿部さんから「何か新しい作品をつくりませんか」と声を掛けていただいたのが始まりでした。YCAMでは、その前にもサウンドインスタレーションをいくつかやってはいますが。

    阿部:最初は『filmachine』でしたね。あれもヨーロッパで評価が高かった。

    渋谷:ぼく自身も、画期的な仕事だったと思っています。いまでこそサラウンドやマルチチャンネルがはやりみたいになっていて、いろんなアーティストが使っているけれど、当時はまだ誰もやっていませんでしたから。あのころ、ぼくは複雑系の理論でつくったノイズを再生したいと思っていたのだけど、ふつうのスピーカーだと情報量が多すぎて、単なるノイズにしか聞こえなかったんです。でも、データ自体にはある種の規則性や周期性があるわけで、そういうものを伝えるのにどういう方法があるのかなと考えたときに、たどり着いたのがサラウンドだった。それをevalaくんと一緒にやったのが『filmachine』でした。

    阿部:少し補足すると、サラウンドというのは、立体音響のことです。アートの夢は、映像にしても、音にしても、立体なんですよ。それを音でトライしたという点で、『filmachine』は世界的なはしりだったんです。

    渋谷:例えば、新幹線が目の前を通り過ぎていくときには、すごい体感があるじゃないですか。その体験自体をぼくらは音でつくるんです。それどころか、新幹線だとできない、音が身体を突き抜けていくような超自然的な体験をつくったりもできます。

    evala:サラウンドというのは、いかに臨場感があるかということですからね。そういう意味では、新しい自然現象を人工的につくっているのに近いかもしれません。


    ■シャトレ座の空間を音が飛び回る

    渋谷:そういったことを『filmachine』でやりながら、自分たちのサウンドインスタレーションは、体験自体をデザインするという意味では現代のオペラだな、と思ったんです。ぼくのなかでは、そのあたりからオペラが引っかかっていましたね。もちろんワグナーがやっていたようなものではなく、まったく新しい体験としてのオペラですが……。実際に、そういうものをやりたいとは当時もevalaくんと話していて、いろんなことをやり始めてもいた。阿部さんからオファーをもらったのは、ちょうどそんなときだったんです。
     だから、何をやりたいのかと聞かれて、すぐにオペラと答えたのだけど、その時点でのアイデアは、自分のなかにあるオペラのイメージとevalaくんのサラウンドを組み合わせることでした。でも、そうこうするうちに、偶然、横部くん(YKBX)と知り合って……。彼はすごい、と率直に思いましたね。ぼくはアニメ好きでもないし、オタクでもないのだけど、作品の情報密度が自分と合うというか。すぐに一緒にやろうという話になって、そこからアニメーションの比重がどんどん増えていったんです。

    小川:初音ミクを使うことは、どうやって決まったのですか?

    渋谷:『THE END』のベースには、妻を亡くしたというぼく自身の個人的なテーマがあって、ストーリーのなかにも亡霊の声が歌うという設定が出てきます。それを誰が歌うのかと考えたときに、初音ミクがいいんじゃないかという話になった。そこからさらに話が進んで、出てくるのは初音ミクだけにしたほうが面白いんじゃないか、ということで落ち着きました。

    阿部:オペラは1600年ごろにヨーロッパでできたのですが、宗教的なものは別として、当時は人間の声で何かを表現する初めての試みでした。だから、人間が出てこないオペラというのは、それだけでもすごいことなんです。
     さらに、『THE END』は音響も映像も衝撃的です。例えば、先ほどアートの夢は立体だと話しましたが、ホログラムを使えば、立体映像はつくれます。ただ、いまの技術だと小さなものしかできない。せいぜい人間の等身大くらいのものです。そういう制約を超えて、2000人規模のホールでなんとか立体映像を見せようと、さまざまな工夫をしてもいますよね。

    YKBX:難解な脚本のなかで、ビジュアルでどこまで説得力を出せるかという部分では、かなり試行錯誤を重ねましたね。複数のスクリーンを使って、プロジェクションマッピングをしたりしながら、2次元の見え方ではなくて、複雑な見え方になるように設計して……。劇場によってステージの形も客席からの見え方も変わりますから、それに応じてセッティングを細かく調整したりもしています。

    阿部:加えて、もちろん音の面でも、人間の脳のなかに立体が浮かぶような挑戦をしています。YCAMでやったときも、相当な数のスピーカーを使いましたよね。

    evala:YCAMに限らず、劇場そのものを音響体にするイメージでつくり込んでいるので型通りにはスピーカーの数も決まらず、いつもびっくりするほど多くなりがちです。全てのウーファーを客席の下に仕込んだりもしました。

    小川:そうやってつくられたものを実際に体験してみると、まず序曲でやられます(笑)。弦の音がすごくナチュラルに聞こえてくるんだけど、それが絶対に現実ではあり得ないような空間の飛び回り方をしますから。

    evala:オーディエンスがびっくりしているのは、後ろから見ていても分かりますね。例えばシャトレ座は4階建てですが、その空間を音が上下に動き回るなんて、誰も体験したことがないわけですし。
     でも、オペラハウスや劇場って、そもそもステージの音がホール内にきれいに行きわたるような設計がなされているので、立体音響をやるには、本当はすごく不適切な場所なんです。だから、音の調整はかなり徹底してやらなくてはいけないのですが……。


    ■「耳で視る」体験づくり

    小川:最近はテクノロジーを駆使すれば、極端なことをいえば、家にいてもコンサート会場にいても同じ体験ができると思われがちだけど、本当はそうじゃないということですね。やっぱり、その場に行かないと体験できないことがある。

    渋谷:特に音はそういうものなんでしょうね。あとは必然性、かな。ときどき映像作品を大きく映しているだけの美術展があるのですが、ほとんどはあま面白くないんです。大きく見せても構わないのだけど、それ自体にどのくらいの意味や必然性があるのか。そこがきちんと成立している作品って、意外と少ないと思うんですよ。音も同じで、劇場や美術館でやるのなら、そこでしかできないことをやらないと意味がない。

    小川:2015年のオランダのアムステルダム以降、ぼくは海外公演のプロデューサーとして一緒にツアーをまわらせてもらっているわけですが、そばでevalaさんのお仕事を見ていると、すごくデジタルな部分の仕事と、現場で体験をつくっていくような手作業に近いような仕事との両方がありますよね。F1なんかでも、それぞれのサーキットに合わせて、マシンについてのベストなセッティングをつくっていきますが、さっきも少しおっしゃっていたけれど、あれに近いつくり込みを、その都度やるじゃないですか。

    evala:サラウンドの音響のチューニングは、オリジナルとしてあるものをただ生々しくリアルに再現するのとは違いますからね。ぼくらがつくっている体験は、いわば“空間のいたずら”で、ダイレクトに感覚に訴えかけてきます。それをぼくは「耳で視る」と言ったりしているのですが、つくるときにもやっぱり「耳で視る」んです。目に見えないものにフォーカスしながら、手間をかけて、その都度つくり込んでいくしかない。

    小川:そうやって、そこでしか体験できないものをつくっていくからこそ、あの作品には今日性があるのでしょうね。

    阿部:それはそうかもしれません。メディアアートの世界でいうと、60年代の後半くらいに、ジェームズ・タレルなんかも非常にパーソナルな体験づくりに取り組んではいたんです。でも、精度がずっと粗かった。それを最高に緻密な精度でやっているのがevalaさんです。そういう意味では王道なのだけど、結局、メディアアートの面白さというのは個人の体験にどうアクセスするかということなんですよ。『THE END』は、そこを非常に納得性の高いレベルで実現できているからこそ、いまなお古くなることなく、注目されつづけているのだと思いますね。

    (続く)

    【登壇者プロフィール】
    渋谷慶一郎(音楽家)
    1973年生まれ。東京芸術大学音楽学部作曲科卒業。2002年に音楽レーベルATAKを設立、国内外の先鋭的な電子音楽作品をリリースする。代表作にピアノ・ソロ・アルバム『ATAK015 for maria』『ATAK020 THE END』、パリ・シャトレ座でのソロ・コンサートを収録した『ATAK022 Live in Paris』など。また、映画『はじまりの記憶 杉本博司』、テレビドラマ『SPEC』など、数多くの映画やテレビドラマ、CMの音楽も担当。2012年には、初音ミク主演による映像とコンピュータ音響による人間不在のボーカロイドオペラ『THE END』をYCAMで発表。同作品は、その後、東京、パリ、アムステルダム、ハンブルク、オーフス、アブダビなどで公演が行われ、現在も世界中から上演要請を受けている。

    YKBX(ディレクター・アートディレクター・アーティスト)
    各種映像作品のディレクションや制作に加え、アートディレクション、イラストレーションやグラフィックデザインなど活動は多岐にわたる。トータルアートディレクションを目指した作品を数々リリースし、国内外の映画祭やイベントでも高く評価されている。初音ミク主演のボーカロイドオペラ『THE END』では、ルイ・ヴィトンと衣装コラボレーションを行い、全てのビジュアルディレクション・共同演出・映像ディレクターを務めた。
    2016年に安室奈美恵 “NHKリオデジャネイロオリンピック・パラリンピック放送テーマソング” 『Hero』ミュージックビデオを手掛け、加えてアーティスト写真やジャケットなどの全てのビジュアルをディレクション。また、SMAPとのフェイスマッピングプロジェクトや安室奈美恵×GUCCI×VOGUEプロジェクト、攻殻機動隊ARISEのオープニング、現国立競技場クローズイベント映像演出や世界初OculusRiftを駆使したVRミュージックビデオをリリース、2014年にはソチオリンピック公式放送オープニングの演出などジャンルを超えた作品を数々生み出している。

    evala(サウンドアーティスト)
    先鋭的な電子音楽作品を発表し、国内外でインスタレーションやコンサートを行っている。立体音響インスタレーション『大きな耳をもったキツネ』や『hearing things #Metronome』では、暗闇のなかで音が生き物のように振る舞う現象を構築し、「耳で視る」という新たな聴覚体験を創出。サウンドアートの歴史を更新する重要作として、各界から高い評価を得ている。舞台や映画、公共空間においても、先端テクノロジーを用いた多彩な楽曲を提供したり、サウンドプロデュースを手掛けたりもしている。カンヌライオンズ国際クリエーティビティ・フェスティバルや文化庁メディア芸術祭での受賞歴多数。

    阿部一直 (メディアアートキュレーター)
    90年代のメディアアートをリードした「キヤノン・アートラボ」にて、数多くのアートプロジェクトをプロデュースしたのち、コンセプトや制度設計から関わった山口情報芸術センター(YCAM)でチーフキュレーター、アーティスティックディレクターとして主催事業全般をディレクション、監修。渋谷慶一郎らによるボーカロイドオペラ『THE END』のプロデュースも手掛けた。アートセンターのあるべき姿を意識しながら、人材育成や場づくりにも積極的に取り組んでいる。

    小川滋(株式会社電通 ビジネス・クリエーション・センター レガシー事業推進室)
    ゼロ年代から都市開発に関わるなかで、都市のブランディングと文化発信の関係に興味を深める。当初は一人の観客として『THE END』を見ていたが、縁あって2015年のオランダ公演から“中の人”に。 各国の招聘公演での観客やメディアの反応から、『THE END』のテクノロジーアートとしての魅力に確信を得つつ、いまに至る。